啓発舎

マジすか? マジすよ

題名 自由の幻想
監督 ルイス・ブニュエル
場所 岩波ホール
年代 1976年ごろか

 単刀直入。映画の話。
 映画については、実は、いままで抑えていた。リゲティについて書いたとき、ついでにキューブリックの話をしてしまったことはあったが。
 解禁する。
 初回は、この人、ブニュエルさんだ。

 今の今まで、「死者の書」のパンフレットを探していて、見つからないので、記憶でいく。
 今年の2月末、東京に帰ったとき、神保町に出たついで、岩波ホール折口信夫の「死者の書」を見た。人形劇の映画。良かった、當麻寺にロケしていた、懐かしかった。が、それは本題ではない。

 エレベーターで8階だか7階にあがると、昔とかわらぬ、なんていうのか、入れ子構造のような、部屋の中に部屋がある、みたいな、ホール健在。五角形だか七角形だかの。
 このホールに入るのは、何年ぶりか20年以上だ。最後に観た作品はなんだったか。少なくとも、社会人になってからは、足を踏み入れたことがない、とは断言できる、こんなことで力んでもしょうがないが。
 でも、こんなにしょっちゅうこの辺りを徘徊しているのにな。
 信山社には行くがホールにはいかない。となりの妙に本格的なスーパーには行くが、ホールへのエレベーターには乗らない。キムラヤは冷やかすが、ホールの看板も冷やかすだけ。向かいの角の本屋で、発売日より一日早く週刊新潮は買うが一階奥の薄暗い受け付けで切符は買わない・・・

 すいません。ついつい。もう、こういうくだらない与太はやめようとは思ってるんですが。

 で、そのパンフをパラパラめくっていたら、終わりの方に、いままでの上映作品リストがあって、ずらっと並んでいた。これは見た、あれは見てないと(特に開館初期ね)たどっていくとふと、ブニュエルの名が目にとまった。
 とたんに当時の記憶が・・・。

 パターンだ、このブログの。

 とことんひまなとき、私の観たオールタイム映画ベストテン!をやる。
 あなたもやるでしょう。
 毎回違うのは当たり前だが、この映画だけは、必ずはいります。

 なぜか。

 このブログやってよかったのは、過去のことどもに、今、何故か、の問いかけをするきっかけができたこと。

 で、なぜか。

 上品なユーモア。あぶっらけの抜けた飄逸さ。意外な展開(映画には、これがなきゃ)。軽み。上機嫌。遊び。
 映像による純粋な遊び。

 意味付けをして四の五の言おうと思えばいくらでも言える類の作品だが(たぶん世の「識者」はいろいろ言っているだろう)、また、ブニュエルさんは、シュールレアリズムにはじまり、いくらでも、そういうネタ、切り口に事欠かない人ではあるが、オレに言わせれば、思想だの、なんだのではない、この作品については。
 とことん意味の無い、映像の遊び。やりつくしてここに至る。
 内容は、直接見てください。アマゾンあたりで売ってるんじゃないか。

 当時は人並みに映画には通った。
 池袋文芸座、銀座文化、渋谷の全線座、飯田橋ギンレイホール八重洲のなんとかいうところ(いつ行ってもサラリーマンが一斉に昼寝していて不気味だったな)二番館ばかり。

 岩波ホールは、当時から、少し構えて行った。高かったし。
 ベルイマンを良く観た、ルノアールの親父とか、ヴィスコンティとか。必ず、長文の感想を書いた、当時の日記に。まあ、芸術映画やってたんですね。当方にもガキの気負いがあったのですね。
 実はブニュエルはよく知らなかった。前評判は多少はチェックしたか、このホールに、飛び込みで行くことはなかったから。いずれにしても、よし、観るぞ、と構えて行ったのだろう。

 肩透かし。
 その意外さが心地よかった。

 それっきり、今に至るまで、映像を再び観る機会はないのだが、いくつかのシーンは脳裡に再現できる。
 短いエピソードの積み重ね、という体裁だが、看護婦(だったと思う)が宿屋に泊まり、修道士の集団とカードのバクチに興ずる、その肩に手をかけようという破戒僧。と、隣の部屋から、むくつけき男の叫び。鞭の音。見ると、そこには・・・。
 公園で妖しい男が娘に数枚の写真を渡す。帰って両親(ジャンクロードブリアリとミシェルピッコリ。完全な端役です)に見せる娘。いやらしい、これは過激だ、などと言いながら、一枚一枚凝視していくうち(観客にはみえない)に、興奮していく男女。で、その写真をやっと大写しにすると、そこに写っていたのは・・・。
 建設中のビルの高層階から無差別に通行人(ハトも)を狙撃するアナーキーな感じの男。裁判になり死刑判決が下る。で、起こったことは・・・・

 ここに行行ったときは、帰りに、よく、はす向かいのランチョン(火事になる前、一軒家のころ)で背伸びしてビールを飲んだ。吉田健一さんには、遂に会えずじまいだった。