この30年当方が密かにお慕い申し上げていた方が、この秋、訪日される、という報を今朝の朝刊で知った。神戸にいらっしゃる、とのこと。
胸がときめいた。
初めての出会いは中学三年のころだ。私のルーツは、ぜんぶ中学時代だ、
一目ぼれだった。その、花のかんばせを絵に描いて、美術の宿題に提出した。少し誉められた。
その後、大学に入った頃か、妙なところ、日比谷の出光美術館で、ばったりお見かけした。
それ以来、一方的な片思いが続いていた。
その人の名は、ベルト・モリゾさん といって、おフランスの方です。
19世紀末パリでその才媛を謳わた閨秀画家にして、そしてまた、マネの親密な友人でもあった、ベルト・モリゾ様その人であります。
こないだ、マルモッタンなんとか、の展覧会が都の美術館でありましたが、そのときも、この人の作品がいくつか展示されていました。
ただし、私の初恋の相手は、現し身のこの方でも、この方の作品でもなく、マネの手になる肖像画「黒い帽子のベルト・モリゾ」でありました。
この方を画に描いたというのは本当で、模写の宿題で、この画を選んだのだった。
印象派を題材に選ぶ生徒は割合多かった。セザンヌの赤いチョッキの少年とか、ユトリロとか、素晴らしい出来の作品があった。みんなで、ちょっと誇らしげに見せあいっこをしました。
黒板のところに、ずらっと並べて教師が論評したのですが、実際に当方の自信作も、少しほめられました。「バックの色合いがいい」と。
何故、この画が気に入ったのだろう。いまとなってはわからない。
まなざしだろうか。
マネの、例の、さっさ、ひょうひょい、と筆を動かしただけのような、無造作なタッチで描かれた表情。
気高さ、気品、知性、天真爛漫な率直さ、そして、美しさ。
この野郎、惚れてるな、とも思いました、マネに対して。
そして、なにより、静謐さ。
素晴らしい画には、だいたい、この静謐の気が漂う。
そういえば、ウイーンの美術史美術館に行ったとき、ある大きな展示室に足を踏み入れたとたん、なんだか、部屋の一部に、清浄な、静謐な気が漂っている、と感じたことがあった。近寄って見ると、ラファエロのマドンナがあった。
世にいう名画でも、そういうことは、ほとんど感じない性質なのだが。
話はどんどん横道にそれるが、いま思い出した、この種の、予断なしにピンときた体験は、あと一回ある。
ずいぶん以前、深川の現代美術館で、ポンピドー美術館の引越し展覧会があって、いまや都の三大タックスイーターの一つと呼ばれるこの美術館に、枯れ木も山の賑わいか、というぐらい人が集まったことがあった。
現代美術中心なのだが、ある部屋を覗くと、ある場所だけ、清浄の気が・・・。
アンリ・マティスでした。マティスの、例の赤、赤主体の鮮やかな絵が、2点ならんでかけてありました。
赤という色が、こういう風に、清らかになるのだ、と、しばし自失しました。美の不意打ち。
で、マネですが。
当方、印象派ではこの人がいちばん好きです。
モネとかと比べると、この人、技術はどうなんだろう、詳しいことは知らないけれど、雑、というか、今で言う(少し昔か)ヘタウマのところがありゃしませんか。
ただ、この人の、黒、それと、白、それと、しばしば緑。この鮮やかさ。
質感。
この画が出光美術館に来たときは、アンドレ・マルローがどうしたこうした、という展覧会で、この画も、平重盛坐像(いま、別人ということになっているのか)の、おそらく模写、と並んで掛けられて、黒の東西比較というようなマルローさんの能書きが手前に書いてありました。
黒の色調の見本で並べられた日には、ベルトさんも、重盛(じゃないか、別人か)も、迷惑だったでしょう。
モリゾに話を戻して、締めくくります。
モリゾ様は、9月にオルセー美術館の名品展が神戸市博物館で開かる、その看板として来日されるそうです(この博物館、最近、肉筆浮世絵展で、ヒット飛ばしました、行かれなかったけど。好調です)。
30年ぶりの再会、楽しみです。