啓発舎

マジすか? マジすよ

ブコウスキー

書名 ブコウスキーの酔いどれ紀行
著者 チャールズ・ブコウスキー
出版社 河出書房新社

10年ほど前、仕事の関係で、何をしても組織が壁になって自分の前に立ちはだかる、自分のちっぽけさが沁みる。環境のせいにするのは簡単だ、だけど・・・

そういう時期があった。

無闇に落語を聞いた。
たまたま鈴本で、伯楽師匠の「たがや」を聴いて、溜飲を下げた記憶がある。そうだそうだ、お上だからって、いばるんじゃねえ、と。
浅草六区のあたり、せこい飲み屋が並んでいて、そこで、まずい日本酒を飲むと、何故だかほっとした。松風とかではない、あくまで、場外売り場のそばに、まだ、いまでもあるだろうか、並んだ、バラックの飲み屋。
カウンターに、必ずマークシート式の馬券がたばになっておいてあった。男達は、連れがいる奴も、イヤホンつけて新聞とにらめっこで自分の世界に没頭しており、わずらわされないところも気に入っていた。

 尾崎放哉、色川武大志ん生(なんで今ごろブームなんだ)といった人々がアイドルだった。今の人だと、車谷長吉宮崎学

 人形町とか、浅草あたりとか好んで徘徊していた、身体が街を求めるということはあるもんだ、と思う。もちろん、門仲も。通りの南側ね。

 ブコウスキーも、そのころ耽読した人。
 手元にあるのは、平成10年6月1日初版の「町でいちばんの美女」。新潮文庫
 新潮さんには、ガキのころから、ほんとうにお世話になりっぱなしだ、未だに、ひものしおり付きだし。

 組織については、その6年ほど前から面従腹背状態、当方のほうから愛想づかしをしていて、恃むのは自分しかない、固有の座標軸さえしっかりしていればいい、という姿勢、お互い様というところはあった。
 社会的存在としてこの世間にあり、みんなその中で自分の位置を日々測定してやっている、お鳥目を頂戴するのだから、それは当然のことだ。そんなことは分かっている。
 けれど、実際、その中での居場所に、いささか、しんどいところがあった。私事です。

 そんな中、この人と出会ったのだが、きっかけは、なんだっただろう、この、新潮文庫の表紙)(バーでうつろな目をなげかける疲れた中年女)に惹かれたのか。三省堂本店で買った。その後、淡路町の焼け残りに行って、藪でもぼたんでもない、せこい洋食屋で飯を食ったのも覚えている。

 夢中で読んだ。

 書いてあるのは、酒と男女の行為の話ばかりだ。
 実は、その両者とも、それほど、当方には切実なテーマではなかったことを告白しなければならない。
 では、なぜ、感応したか。

 やさしさ、ということについて、この人は語っていたのですね。
 それが、当時の自分には、理屈抜き、そのまま、伝わってきた。
 たそがれた男のひりひりするような、やさしさ。

 これは、しみじみきました。
 ここに同類がいる。

 どれも駄目男の話だ。けれど、絶望の底に不思議な安堵がある。妙な明るさがある。
 やさしさがある。それは、おそらく強さに裏打ちされた男のやさしさです。

 感情移入していたんでしょうね。

 その後、当方、ひょんなことから、当時の環境(いまもその中にいる)以外の自分の立ち位置ができ、重心がそちらに移行したことから、社会的な存在としては、状況は少し変わってきました。組織に対して必ずしも経済的に隷属しないでいられるような状態になった。金の切れ目は縁の切れ目とはよく言ったもので、気持ちの縁が切れ、もやもやは、少しづつ解消していきました、自己責任に基づくあれこれは出てきたけれど、それは前向きなことでした。

 現金なもので、そんなわけで、そのころから現実の社会との切り結びが忙しくなったこともあり(喰うか喰われるかだった)、当時のアイドルとは、なんとなく疎遠になっていきました。
 寄席にだけは、いまも相変わらず通っているけれど。

 で、きのうだか、おとといだか、風邪でダウンしているときに、ほんとに、何気なく手にとったのが、この本だった。

内容を簡単に言うと、この作家が、詩の朗読会で、生まれ故郷のドイツに里帰りするお話し、紀行文です。
このころは、この人もメジャーになっていて、素敵な奥さんを伴って旅する、普通に読める本(この人の本は、ときどき、読むのに体力がいる)なので、ぱらぱら読み飛ばしていていると、ケルンの大聖堂での独白が目にとまりました。少しだけ引用したい。少しだけ。
「わたしが考えるに、この大聖堂に一歩でも足を踏み入れた者は誰であれ何かを思わずにはいられなくなるはずで、その思い次第では人を改宗へと導くやもしれない。しかしわたしの場合はそうではなかった。もしもわたしが改宗したり、信仰したりしたとすれば、悪魔はひとりぼっちで地獄の炎に包まれたまま見捨てなければならない。それはわたしとしては親切とはいえない。<中略>わたしの感情はといえば、不具者や責め苦に苛まれた者、呪われた者や堕落した者に歩み寄る。それは同情などからではなく、同胞意識からだ。何故ならわたしも彼らの一人で、堕落し、途方に暮れ、はしたなくてさもしく、怯えていて、臆病だからだ。<中略>大きな神はわたしのためにあまりにも多くの銃を持ちすぎていて、あまりにも正しすぎて、あまりにも強力すぎた。わたしは許しを得たり、受け容れられたり、見い出されたりしたいのではなく、そんなことよりもずっと取るに足りないこと、それほど大それていないこと、<中略>を望んでいた。」

独白はまだ続き、死とか、芸術への考察へもつながるのだが、これは圧巻だった。
久々に心揺さぶられました。

外観はアンチキリストの決意表明ですが、期せずして、この人の信条告白になっています。

私も基本的に同じ気持ちです。あの当時も、今も。