啓発舎

マジすか? マジすよ

曲名 ブランデンブルク協奏曲
作曲者 J・S・バッハ
演奏者 N響有志(永峰 ほか)
場所 上野 奏樂堂
日時 03年12月

一番最近実演で聴いたバッハ。2年半前だ。
 この人について言い出すととまらなくなる。今回も、意識の階層構造とバッハ音楽の受容、要は、優れた音楽は、直接知覚として(言葉とかの介在なく)人にダイレクトに働きかけるが、この人の音楽は、意識の最深部、「魂」の領域に直接触れる、従って、どんなときでも、この人の音楽に触れると、自分の意識が少しだけ深まって、深いやすらぎを覚える実感がある、というようなことを延々書き連ねたのであるが、読み返して、さすがにちょっと、と思い、割愛しました。

 でも、言っていることは私の実感で、この人は特別な人です。
  
 人類よ普遍に(たまには)目を向けなさい、と、自然法則が人類に遣わした存在、それがバッハ。
 だから、この人の音楽は、風の音とか、せせらぎ、とか、そういうものに近い、私の中では。

 この人については、もう音源とかは要らなくて、頭の中で曲を鳴らせます。たとえば、そうだなあ、フランス組曲の6番の冒頭の曲(アルマンドか)。
 この、純粋な愉悦。晴朗な響き。必然の展開。流れる時間。まじりけのない安らぎ。
  無伴奏チェロの第6番
(みんな6番だ)
 リュートのためのプレリュード フーガ アレグロ
 平均率クラヴィーア曲集

 聴いたあと、あるいは、頭の中で演奏したあと(奏者は自分自身だ)、実際に楽器で音にしてみたあと(リュート(当方3台所有)及びチェロは、なんとかなる)、自分の意識の立ち位置は、少し違っている。本質に向かって10センチほど、移動している。

 生きる醍醐味とは、こういうことだ。
 こういう時間を提供してくれるのは、この人をおいて、いない。

 冒頭挙げたのは、最近演奏で聴いたバッハ。

 N響有志、長峰氏(この人がコンマス)とその一味というかんじ。
 一時、ファーストヴァイオリンの、前4人(フォアシュピーラーとかいうらしい)で弾いていました。テレビでN響を観ると、一時、観る都度、この人の頭髪がだんだん増えていくのはスリリングでした。Stringsという弦楽器を習っている人のための雑誌に、オレ第一ヴァイオリン、オーケストラで一番えらい、みたいなちょっと鼻持ちならないエッセイを書いていました。今、テレビを見ていると、第二ヴァイオリンに配置転換になったようですが、どんなご気分でしょうか。

 演奏は良かった。T氏に誘われて、まあ、クリスマスということで出かけたのですが、この日は、1メートルぐらいは深まりました、魂に向けて。
 6曲の中では、普通一番地味だと言われる6番が、なぜだかしみじみ好きです。冒頭ヴィオラ以下の弦楽合奏が、まあ始めっか、てなかんじで、よろよろ弾きだすところなど、たまりません。
 しぶいです。

 2番だけは、生演奏で聞くのはこのときが初めてでした。
 ラッパに超絶技巧を要求するので、なかななかなかできないのです。この日は、ベルリンフィルの人をゲストで呼んでやりました。眼前では大男のドイツ人が、顔を真っ赤にしてトテチテターとやっているのですが、目をつぶると、天使が天駈けるような素敵な音楽になっていました。

 同行のT氏は、フルートの中野さんのファンで、フルートを誉めていました。暖かい音色。近くから見るのは初めてだったのですが、意外に小柄、顔が大きく、燕尾服での立ち姿はまるでペ○ギ○、などという失礼なことをいう奴はだれだ。
 当方もミーハーモードになりました。オーボエのお姐さんが、くねくね吹くのは(最近引退した宮本さんみたい)、ちょっと気の強そうなかんばせと相俟って、不思議ないろっぽさだったです。

 すっかり良い気分になって、御茶ノ水まで車で出て、仕上げに山の上ホテルでワインとかやりました。
 缶詰になってる作家とおぼしき、どてらを着込んだおばさんと編集者(ちゃんと紙封筒をもっていたのは笑った)が隣席でしたが、このおばさんが夜郎自大、大音声でまくしたて、他の客全員から矢のような視線を浴びていました。怒鳴る作家と追従する編集者の図、というのは、見ていてそれなりに面白くもあったのですが、さすがに辟易して店の人を呼んで席替えてくださいとアピールすると、店の人は、盛んに恐縮していました。

 面白かったです。