啓発舎

マジすか? マジすよ

曲名 Op118 6つの小品 第2番 間奏曲
作曲者 ヨハネス・ブラームス

 今日は、クラシック。ブラームスだ。
 この人については、結構好き嫌いがはっきりしていて、なにあのおじさん、曲をいじくりまわして厚ぼったくて、という向きがある。実は私もそうだった。
 10代の後半から20代にかけては、おフランス一辺倒だった時期がある。おフランス派で、ブラームスを退屈だ、と感じる人は多い。
 
 ところが、私の所属していたオーケストラは、はっきり、ドイツオーストリア系の大曲を好んでとりあげ、好き嫌いに関わらず、実際に演奏する機会はかなりあった。
 サマーコンサートと銘打って、毎年、夏には、演奏旅行をして同じプログラムを7〜8回各地でやったのだが、大学2年の時のメインが2番のシンフォニーだった。チェロという楽器をやっていると、曲の骨組みがわかる。特に、この人は、弦の扱い、重ね方がうまい。
 また、この曲は、苦節20年でやっと完成した(というか、おそらくは、おおかた出来上がっていたけれど世に出すことを躊躇していたのだろう)第1番の後で、ブラームスとしては、一気に書き上げたことになっていて、確かに弾いていて、風通しの良い曲だった、ブラームスとしては珍しく。第一楽章の冒頭のD Cis Dの出だし(チェロ!)から第一主題にかけてのびやかに広がる感じは、何度弾いても(聞いてもではない)気持ちよいものだった。

 話、もどす。
 よく、ブラームスは中年以降の音楽で、その良さがほんとにしみじみわかるのは、初老になってからだ、という人がいる。
 この国の、クラシック音楽鑑賞界(そんな集団があるか)には、旧制高校的な教養主義に基づく(かどうかわからないが)いろんなドグマがあって、たいてい当てにならないのであるが、「ブラームスは中年以後」というのは、私個人については、少なくともあたっている。

 いつのころからか、晩年の小曲集が、なんだか、やたらに沁みるようになっていた。
 OP117 118 119あたり。

 CDプレーヤーにのせっぱなしにして、毎晩聞いていた時期もあった。

 なぜだろう。

 こと、音楽について語るときは、相手を慎重に選ばなければいけないのだが、数少ない、私の尊敬する方(学生時代はフレンチホルン、今は篳篥、で、日本を代表する雅楽会を率いる先生です)に、この晩年のピアノ曲について話したことがある。汐留電通ビルの最上階、一茶庵で仕上げのそばをたぐりながら。
 「あれは老いの繰り言だ」と一刀両断にされてしまった。当方、いいかげん冷酒もまわって、当方もくどくなっていたかもしれないが。

 ある意味、言いえて妙、でもある。

 いろいろあった末たどりつく諦念の安らぎ、という感情を音にすると、こういう曲になるんだろうな。

 バックハウスとか、ケンプとか、グレングールドとか、ルプーとか、いろいろ持ってるけど(みんな廉価版で1000円ぐらい)、この曲集は、なぜか、アファナシエフが一番肌にあう。この人の曲者ぶりは、ときどき信用できないときがあるけれど、この曲集については、しっくりきます。