啓発舎

マジすか? マジすよ

OB会報というのをしょっちゅう送ってくる。
会員のお便りがぎっしりのっている。
どれもこれも書いてある内容は次の二点に集約される。例外は、ない。
◆会社生活はわんだふるでした。
◆趣味だの旅行だので今もこんなに元気で充実しています。


人に伝えるというより、自らに言い聞かせるかんじ。
したがって、これでもかと連打する。あれもやりました、これもやります。


そうですか。


ところで、NHKBSで昼の1時からやっている「プレミアムシネマ」というのを条件がそろうと、みる。
次の二要件。
◆気象条件
◆演目
要は、外は雨、もしくは雪、あるいは槍、が降っていること、タイトル、キャスティング、製作年代、等で、明らかに時間の無駄、徒労感を味わうであろうと思われるものでなさそうであること。


たまに拾い物があって、きのうなんか、よかったですよ。
今朝起きたら、シークエンスがいくつか勝手に浮かんだりした。


こういう暮らしをしていると、実際に我が身にふりかかったことと、他からはいってきた情報が混在して、何日か、何か月かすると、なんというんでしょう、
リアリティーが、現実感が、形成される。発酵されるかんじ。


だから、現実でもメディアからのあれやこれやでも、素材を吟味することが、たいへん重要nなります。


発酵か、腐敗か。大違いです。
くずは、時間が経つと腐る、良質の素材はまろやかに熟成する。


ところで現実は、なかなか選べない。
隣の席から聞こえるのが妙なる音楽ならいいが、たとえば、おとといのスタバのように隣席が妙なる音楽のような会話ならいいが、非常ベルのようだとしてもこれを排除するのは困難だ。

メディアは、それができる。

というわけで、今日は、ロバートレッドフォードとバーバラ スタライなんとかの恋愛ものだ、というので、これは遠慮しとくよ。



ちょっととっちらかったが。
当初書こうとおもったことは以下。


こういう日々のよいところは、別に外的にあれやらこれやらなくても、自分の裡に、まあまあの糠床があれば、いくらでも豊か、ということばは大仰か、さっきいったことばでいうと、発酵、熟成、できるので、たおやかに時間が流れる。


冒頭のOB会報云々は、これもこのところのおれの一つ噺だが、自分の外に求める奴は、がらんどうだから、なかみに耕す畑がない、あっても貧弱、したがって、あおれもこれもと言い募る、というがらくたの標本で、まとめて読むと廃車スクラップを俯瞰してみる、現代美術の様相を呈して、それはそれで、たまには刺戟になる、という話。


雨、やみましたね。