啓発舎

マジすか? マジすよ

ブンガクの時間です。
岩波「図書」2月号。
先月ほめたさだまさしは今月、大したことなく、東の正横綱高橋三千綱さんといえば、すっかり山下洋輔の芸風になっていて、いや、山下さんをどうこういうのではなく、ギャグがジャズ的に疾走はじめてしまっていて、先行きが用意に想像できる、マンネリズムの陥穽にはまっている。
要すれば、全体に低調の一語。

おれがなんで岩波を読むかというと、四谷駅頭改憲反対平均年齢85才ビラ配り的イデオロギーでも、加藤周一大江他朝日岩波御用達旧制高校的左翼教養主義でも無論ない。
確かなのは、しん、とした感じを味わいたい、ということだ。
とりあえず、いま、これを「お品」という言葉におきかえる。


「波」をとるのをやめたのも、この「お品」のあまりの欠如に辟易したからだった。

「しん」としたかんじの対極は「けたたましい」です。

女たちのテロルもヴェイユがどうしたこうしたも、内容以前に、非常ベルのけたたましさが私を拒絶する。
シモーヌヴェイユという人は、おれも若いころちょっと読んだが、青臭いのはいいとしても、「人間」をわかってないからアウトです。
センセイ相手の営業、薬屋のプロパー、とか教員に教材を売り込むとか、代議士のセンセイにナニをナニする、とか、岩波書店編集者として気位だけ高く演算能力は貧弱な大学教員に原稿依頼するとかの営業を10年やってから改めて自分の書いたものを赤面せずに再読できたか聞いてみたかった、若くした亡くなったのが如何にも惜しい。


というわけで、岩波は、もっと岩波らしくしたらよかろう。