久々に、「きた」。
番組の狙いとは全然違うが。
キーワードは以下のふたつ。
青い空白い雲
美の不意打ち
いずれも、いままで散々書いてきたことなので、ここで繰り返さない。
白川さんは、よく存じ上げない方だが、「地球再発見を通じ人間性の回復をめざす」のだそうだ。
当方の印象は、前半はそのとおりだが、後半はどうか。
人の介在しない世界を撮る。地球の美しさを再発見する。それは業績が示す通り。
しかし、その作品が、人間を志向するか。
がんこなオヤジであることはすぐわかるが、映像から、なにか、人間を根っこから拒絶する風が見え隠れするのは、おれの謬見か。
ついに人間不在。人を拒絶する絵、がこの人の原風景ではないか。
悪い意味ではない。
別に、作品と人間性結びつける必要はない。
おれの「青い空白い雲」もひとが介在しない。
「ひと」を介在させずに、世界、というか、時空、というか、あるいは、神、というかは、人それぞれ、生息環境やら習俗やらで用語は異なるが、それぞれの究極と向き合う、ということをストイックにやってきた、ということは映像から直接伝わる。
仲間意識みたいな感じはすこしある。
親しくお付き合いしたいとは思わないけど。
時空と感応する、というフレーズは、このブログで頻出する。
あまりつかうと安っちくなるので、このところ避けていたのではあるが。
このあたりのことは、稿を改める、というより、このブログ形式でなく別の流れにしたほうが、世間様のためにも私自身のためにも穏当な感じしていて、すこし、助走もはじめているところです。