N響から定期会員のみなさまに、4〜6月A、Cチクルスの切符余ってるから来いよ、と手紙で言ってきた。毎年言ってくるがA,CはNHKホールなので無論買わない。
それはどうでもいいのだが、それに「2018年9月からの公演予定」がついていたので見ると、12月の欄に指揮者デュトワと書いてある。
びっくりだ。
今月17日に会場でもらった会報には、12月の指揮者は調整中、とあったので、デュトワはクビね、と普通に理解していた。
調整の結果、当初の予定をかえずデュトワでいくことにしたのか。ことなかれ主義選手権タイトル保持者のNHKが気骨をみせたか。
どうしようか。
音楽性は買う。いま、N響で安心して聴けるのはソヒエフとこのおやじだけだ。
しかも、おれは、一般論として、metooの後出しじゃんけんは、なんか、いやだ。その「なんか」のニュアンスには、我が身に照らしている気配もどことなくあるので、強くは言えないが。
おれの信条からは、行かない理由はない。
では、なぜ、とっさに、どうしようか、と逡巡したのか。
少し考えた。
どんな偉人も3つのエピソードで語りつくせる、といったのは、マルクスだったか。
デュトワは、別にえらくもなんともないので、もちろんその例外ではない。
「おれのデュトワ」は以下の3つだ。
◆後頭部の「盛り」が、たんびに違う。
◆スコアをめくるとき、必ず指をなめる。
◆バイバイまたねのパフォーマンス。
これから導き出されるのは、言うまでもなく、「お下品」の一語だ。
あまり複雑な奴ではない。
次、デュトワのmetooエピソードについて。
言われていることが事実かどうかはどうでもいい。後出しだし。
だが、「真実かどうか」はそうはいかない。
上に掲げた行動類型と、metooエピソードは、ばっちり符合する。
上の3つにダメ押しとして、
◆歌手のΘに♂を★した
と付け加えて、なんら違和感がない。きわめて自然である。
事実かどうかは藪の中だが、真実であることは明らかだ。
スケコマシ、と、「お下品」はおれのものさしでは全然違う、桁が。
スケコマシが3㎝だとすると、品性下劣は、3光年ぐらいだ。
当日出かけたとして。
楽員席につく。モギがチャルメラをビーとやる、チューニングおわり。
デュトワ、燕尾服でそでから登場。
パラパラと拍手。
当方、後頭部の仕上がり具合をチェック。
デュトワ、こっち向いてお辞儀。
ばつの悪い空気がサントリーホールを支配する。
というところまでは容易にしみゅれーしょnできる。
そのあと演奏が始まって、かねて用意した懐中の生卵に手がのび、ないでいられるか自信がない。
やっぱりやめておこう。
と決めて、同封のあれやらこれやらを開いたら、鑑の案内文に「2018年12月公演の指揮者は現在調整中となっております」と注意書きがありました、とさ。