啓発舎

マジすか? マジすよ

岩波「図書」1月号届く。
月に一度のブンガクの時間です。


このところ、スカが続いているが、今月号は、例月に増して出来が悪い。
広辞苑の宣伝が特集だからしかたない、ということで割り引くとしても。
原因は明確で、連載の書き手の選定がまるでダメ夫だからだ。


そんな中でも、掃きだめにも鶴はいる。


さだまさし先生。

読んでいて、不覚にも、こみ上げてくるものが。
目頭が。
ほんと。

年越しの記憶を淡々と語るだけの作品。


父母の年末のやりくりを、当時のつましい暮らし回想しながら、抑えた筆致で綴る。
なんとか金策がすんだ。、
「父は、晦日を乗り切ると、大晦日の昼間には必ず僕を連れて床屋に行った。」
父の息抜きにつきあう。
家に帰ると。
少し抜き書きします。

家に帰ると母は諦めたのか安心したのか、父に文句の一つも言わず、さっぱり明るい顔で迎え、静かに正月用のお節を調理しながら、年越雑煮の出汁になる鶏ガラを炊いていた。
 高価なエビだのアワビだのはなかったけれども、高野豆腐、甘い玉子巻、鶏肉と里芋人参牛蒡蒟蒻を煮付けたのや昆布巻きに甘い寒天、田作り、黒豆、鶯豆と母のお節はみな手作りで美味しかった。


今、書き写してて、お節を思い出してひとつひとつ数え上げるところ、鶏肉と人参あたりで、またしても、暖かいものが。


正月を迎え、その鶏出汁でこさえた雑煮を頂くところで終わる。
そこで再び、

輪切りにした冬大根がじっくり煮えて、焼いた丸餅が一つ。
それに赤と薄緑の、厚手に切った鳴門蒲鉾が一切れずつ入った簡素な我が家の雑煮は江戸前の鳥出汁である。


このあたりでおれの堤防は決壊したのであった。


料理をひとつひとつ挙げていく、ということだけに、どれだけの想いを込めうるか。


さだまさし様を四畳半フォークと敬遠していた不明を恥じる。
コンサートか漫談かはっきりしろ、なんて、もう言いません。
ブンガクが、おれにはわけのわからないものになって久しいが、こういうものに出会えるのであれば、喜んでおつきあいする。



連載するらしいので、来月号が愉しみだ。