啓発舎

マジすか? マジすよ

プロの演奏会評。

 ソヒエフもN響とはやはり相性が良いのか、以前より呼吸も合って来たように感じられる。今月定期の2種のプロコフィエフ・プロは、いずれもニュアンスの豊かな、密度の高い演奏になっていた。
 「キージェ中尉」は何か重々しく物々しい演奏だったが、見方を変えれば、シンフォニックな組曲という要素が強くなっていたと言えるかもしれない。この抑制された表情での演奏が、次の「スキタイ組曲」での凶暴な楽想を漲らせた大音響との対比を為すのは当然。それがプログラミングの妙というものだろう。

 この「スキタイ組曲」の「邪神」など、ゲルギエフが指揮すると音楽に怪奇な魔性のようなものが漲って来るのだが、ソヒエフはそこまでの域には達していないとはいえ、最後の大頂点ではゲルギエフもかくやの壮烈なエンディングをつくり出した。ここでのN響の量感たっぷりの怒号の演奏は、なかなかのものであった。

 休憩後の「第7番」は、作品に備わるロマンティックな要素を先行させた、豊麗な演奏と言ったらいいか。もちろんそれは、曲の性格に忠実なスタイルの演奏で、悪くはない。だがそういうストレートな演奏で聴くと、やはりこの曲を書いた頃のプロコフィエフの創作力には、かつての野心的な姿勢や緊迫度がもう失われていたのかもしれないな、などと感じてしまうのである。

当方なりの要約。
◆キージュ中尉
 「重々しく物々しい演奏」「シンフォニックな組曲という要素が強くなっていた」「抑制された表情での演奏」
まず、当日の演奏が「重々しく」「抑制」されていたか、風通しの良い繊細なアンサンブルだったかは、まるで真逆の感じ方だが、主観の相違でよい。おれが少数派かもしれない。
だが、重々しいものものしい、とシンフォニックがどう結びつくか、また、「物々しい」と「抑制された表情」は通常の言葉の解釈だと、異なるニュアンスではないか。
物々しい、って、もったいぶってるみたいな意味ですよね、抑制は、むしろ、そういう要素を抑えた控えめな表現、のように、おれは言葉からは読む。
ともあれ、この評言から、演奏の様子がわかるか。
互いにぶつかりあう言葉を並べて、「よくわからない」という効果を狙ったのなら、「わかる」が。
◆スキタイ
「怪奇な魔性」はゲルギエフほどない、「壮烈なエンディング、N響の怒号」はなかなかのものだった、ということか。
「怪奇な魔性」という表現はおれはできない。語彙が乏しいということもあるが、羞恥心が許さない。
なにより、意味不明である。ゲルギエフも当惑するのではないか。
この曲の評は、最後は盛り上がった、という、猿でもおれでも言える一言だけでありました。
◆7番
「ロマンチック」で「豊麗な」演奏。「ストレート」ともいう。
後半はプロコの制作力がどうのこうのなので、演奏とは関係ない。
「ロマンティック」も「豊麗」もなんて、言う奴によってどうにでも解釈できる言葉で、なにも言っていないに等しい。
言葉を扱うプロとして、ここまでおおざっぱな曖昧な表現でいいのか、稚拙なだけか。
当然そんなことはないので、この評者は手練れである。
要は、尻尾をつかまれない言葉を注意深く選ぶという、この世界で生き延びるための技がてんこ盛りだ。


それでもこの人などましなほうだ。
この国の「批評家」のレベルを知りたかったら、「音楽の友」の演奏会評をまとめ読みしてみ。
「豊穣」で「ロマンティック」な気分に浸れるか、はたまた、隔靴掻痒の痛痒い皮膚感覚を覚えるかであなたの感受性が試される。


ハハ