啓発舎

マジすか? マジすよ

箱根でした。
外観はあいかわらず人種の見本市状態ではありますが、雰囲気は、一時とくらべると、ずいぶんクールダウンしたようです。噴火騒ぎ前のころ、湯本のごったがえしは、殺気漂っていたからね。

国籍が多様化していますね。パブリック、という概念が肌身にしみている人々の構成比が増えた、ということが、いまの秩序を形成しているのかな、と思ったりした。
爆買い人民濃度が薄まったということは、当方の目視した範囲で明らかだ。


「一般になになには」と、集合単位でざっくりものを考える、ということを放棄しない限り、偏見はなくならない。
たとえば、「一般に日本人は」というのはだめでしょう。「一般に日本人は大勢に順応する」という仮説は、同調圧力の議論でよくつかわれるが、おいらはどうだ、順応しない、とっさに反発する、というつむじ曲がりもここにいる、現に。偏見だ、と、おれなど言いたい。
だけど、一般になになにはで抽象化しないとものごとを考えるということは成立しないから、おまえは今日から考えることをやめなさい、ということにならないと偏見はなくならない。

と、言っておいて、当方は、「一般に」だいたいの国籍の方と普通に仲良くできると自分では思うが、「一般に」爆買いピープルだけは、だめだ、どうしても、生理的に。

hateというよりfearというかんじ、風圧に負ける。とっさに逃げ腰になる。
あの、むさぼる、いなごのようなオーラがないと、生き残っていけないのか本土では、毎日どつきあって生存を確保しているのか。

そっちはそっちでうまくやってくれ、と言いたいところだが、爆買いを誘導するのが政府の方針のようだから、おしよせるのに文句もいえない。

銀座はくれてやるから、せめて箱根は返してもらえないだろうか。


この国の人々は、ほんとにこれいいのか、おちおち落ち着いて桜を見上げることもできなくなっていいのか、と柄にもなく国を背負ってしまいがちだ、ついつい。


木枯し紋次郎の精神を忘れてはいけない。
とは言っても、天下国家はあっしには関わりのないことだとしても、自分の周囲10メートルぐらいの環境は、そうも言ってられない。
「逃げ」が現実に対処する基本であることは論を俟たないが、そもそもどしてなの、と立ち止まって考えると「グローバル」にぶちあたる、すぐ。


西洋思想なんとか史とかを無理やり叩き込んでいるのも、そのへんのところの淵源はなんだ、という、これも柄にもない理屈っぽい動機があるのです。

ギリシャヘブライが根っこだ、という岩田靖夫先生の著作(下記参照)をみっけて、鱗が3枚ぐらい落ちたので、おいおいその辺のところをじくじくやっていきたい。


「ヨーロッパ思想入門」
岩田靖夫
岩波ジュニア新書

普通の岩波新書ではない、岩波「ジュニア」新書なのでそこんとこ、間違えないように。


まさに私向きであります。