啓発舎

マジすか? マジすよ

人は、なにに学ぶか。

昨日は言葉足らずだった。
教育の場については、世間的には、過分な環境を与えていただいたのかもしれない。だがこれは別におれが自分で設定したのではなく、ひとえに私をとりまく皆々様のおかげです。
でも水場につれていっても飲まなきゃしょうがないよな、ということについても実は疑惑があって、こんなあてがいぶち飲むもんかと言い張っていて、あの馬はちゃっかりかげでのどを潤していた、という証言もありそうだ。

偽悪はやめよう。


だが、これだけは言えるのは、ホントに学んだのは、学校からではない。あてがいぶちではない。


友であり、書物であり、当時の情報媒体、FM放送とか、エールを送るが朝日新聞とか、だ、たとえば。
朝日の夕刊には、ずいぶんお世話になった、当時。いまは全然だめだが。


要は、自分でとりにいったところからしか、ホントには学べない、と、おれは思う。

自分のくつひもをひっぱって自分をもちあげられるかよ、という反論が自分でもわくが、こう、やむにやまれず、というか、淫する、というか、気にいった樹の根元にロープをしばりつけて、それにしがみついて匍匐前進する、みたいなイメージです。


あまり人様にしたり顔で言いたくありませんが、目をパンダにするより、自分にまきつける布切れの量を極限まで減らすより、大枚払って顔切り刻むより、外観をマシにみせるいちばん手っ取り早い方策は、それだ、と思いますが、ね。
余計なお世話か。