啓発舎

マジすか? マジすよ

本日は、この国の表現の自由について正面から論ずることとしたい。

意見ブログのサイト、アベノミクスがどうした、とかロシアがこうした、とかが目白押しのまじめなやつ、を流し読みしていてある投稿が目にとまった。
タイトルは
「明白な差別 新宿二丁目看板に”役所の指導”」

HIV対策の看板を新宿二丁目掲示したところ、そのイラストデザインが不快だという近隣住民の指摘により役所から指導があり、やむなく受け容れた、といういきさつ。


画像URLは以下

http://s3-ec.buzzfed.com/static/2014-03/enhanced/webdr02/18/12/enhanced-25639-1395159720-7.jpg

イラストは寝そべる男性の群像である。みんな明るく愉しそうだ。
楽しい、より愉しい、がこの絵には適切な表現だ。
中心にマッチョなお兄さんがいる。筋肉むきむき。
視線はそこに集まるように出来ている。
兄さんは、この寒いのにパンツ一丁、ブリーフだからもっこりだ。

という図柄。若い男の子たちが仲よさそうなのは、みていて気持ちいいではないか。
いろんな意味で気持ちいいと思う人もいるかもしれないが。



これに当局が難色を示した。
筆者は、そこから、表現の自由に対する行政の介入、昨今の過度な自粛の風潮へ、と論を進める。


もっともである。
国家権力が、一部の「民意」に負けて、芸術家の自由な表現を曲げてはいけませんよ。
もうすこし世の中、闊達にならないか、というのは、おいらもつくづく思うし、このブログにも書いてきた。

もっともである。
もっともであるのだが・・・


当方、その掲示されたイラストを見た咄嗟の印象は、
いやあ、・・・
と、言葉にならなかったことは告白しなければならない。
・・・だった。
すきじゃない表現だが少し(笑)あるいは(苦笑)というかんじでもあった。
この場でそのイラストを示せないのは、残念だ。



その後、このお兄さんにタンクトップと短パンをはかせて再提出したら、
下着(当初のもっこりブリーフの一部)が見えている」という理由で再び却下され、再度下着を隠す修正をした、という顛末。
当初の修正でお兄さんを着衣にしながら、下着はあくまで垣間見せる、というところに、抵抗精神が窺われるではないか。その意気やよし、天晴れである。
・・・執着という向きもあるかもしれないが。


表現の自由のチャンピオンをもって鳴る私としては、画伯に「満腔」のエールを送るとともに、国家の私人に対する介入には断固警鐘を鳴らす所存であることをここに表明したい。



天下太平といえなくもない。