啓発舎

マジすか? マジすよ

すこし、しみじみ。

9時5時の世界は、相変わらず、ホッブスの泣いて喜ぶ万人の万人に対する闘争、アフリカサバンナ状態ではあるのだが、それ以外は、このところ、なんだか、少し兆しみたいなこともちらほらでてきたようだ。
あんまりまぶしい世界はちょっと、なんで、脇をしめていきたい。年とると、ほっとくと拡がってしまうあれこれを、こう、制御することも結構だいじかもしれない。
閑、に身を置いて、とことん気持ちをゆるめる、ということも。
実は、日曜日の上野本郷散歩には、その、ゆるむ、という、このところ久しくなかった体感がある時間空間がたまにあったのでした。
いずれにしろ、身辺をあまりにぎやかにしすぎないこと。
毎晩王維詩集に手がのびるのは、そのへんの気分もあるかもしれない。
もちろん、王維さん、詩のフィクションもあれば、俗事切り捨てもあり、実際にはいろいろあったと思うけれど。
諦念とそのやすらぎ、を定式化しているその詩のいくつかは、こしらえごとではあるだろうな、と思いつつも、その世界の中に安んじることができる。