終日籠城。申告の書類整理など。
別に書くこともないので、きのう懐かしんだ上賀茂アオサギ事件でも詳述するか。
◆去年の5月ごろ、T氏と京都にいた。
上賀茂神社にも行った。その帰途、季節だし、太田神社のかきつばた、だかあやめだかを見ようと、社家方面にぶらぶら向かったとき、道路を一羽のアオサギが横断しているのに出くわした。双方通行の、片側に社家の屋敷の壁沿いに水路がある立派な道路。
アオサギ氏は、悠揚せまらざる、例の調子で、ゆらゆらと歩を進める。
それにしても、話それるが、アオサギの、あの、そこに「いる」という存在感はなんだろう。
いる、ということでいうと、鴨だってとんびだって鵜だって、いるが、賀茂川で最も「存在する」というインパクトがあるのは、アオサギだった、小生にとって。
三条スタバでぼーっとし続けて、得た結論。
ともかく、彼は、彼女かもしれないが、その後のパフォーマンスから彼、としておくのが適当、彼は、当方が接近しているのも構わぬ風体で、ゆらゆらと道路を横断する。
と、やおら立ち止まり、ちょうど道路の真ん中あたりで、見よ、白い液状の物体を、道に放出したではないか。
一体なにが起こったか。なにが彼の身に出来したか。
単に糞をしただけなのであった。
ちゃんと、いったん止まってやるんだね。
で、悠然と、道路を渡りきりましたとさ。
それだけ。
◆それがなんで後世に語り継がれることになったか。9ヶ月後に半蔵門の飲み屋で話題になるのか。
明らかに、あの時、アオサギは、ギャラリーを意識していた、という共通認識によって。
周囲にいたのは我々だけではなかった。
現に、彼が上記のパフォーマンスを演じた際、当方の周囲で小さな歓声があがったのであった。
十全に周囲を意識し、脱糞という行為に及ぶ、その人を食った了見。
それに心動かされたのであったよ。
本人に聞いたわけじゃないから、果たして彼がどういう意図で、あるいは、単に催しただけか、それはわからんがね。
同時に大の大人が二人同じ印象をもったという事実は、事象の解釈の正当性を裏付けることにはならないか。
ならないか。
◆しかし、なんだ、白川のニセ舞妓が記念写真をよくとる甘いものやの向かいの橋のところに、よくアオサギがつったっているが、あれなんかも、そのせんじゃないか。あそこでえさにありつけるとは思えない。めだとう精神ではないか。