きのう、きょう、と、雨に降り込められている。
雨の音、鳥のさえずり。いいものです。
雨が小止みになった。
遠景の竹薮が風に戦いでいる様子は、海藻が海の流れでゆらいでいるようにも、プランクトンが繊毛を動かしているようにも見える。
独りお茶を点て、先日U氏にいただいた金沢の銘菓長生殿を口にふくむ。
和三盆の豊かな味わい。
このまま、雨がふったな、とか、やんだな、とか、あの鳥の声はなんだ、とか、ひねもすそんなことを観じながら暮らす生活に思い巡らし、ほとんど官能的な心持ちになる。
無限に続く時間の流れのなかに、身を委ねる、という豊饒な感覚。
閑かな空間があれば、他になにも要らない。
退屈しのぎに、美を切り取る技術、その美を洗練させ再現させる手法、そういう技の多少の心得はあってもいいだろう。
この国のあらゆる技芸はそれぞれの手法で美の洗練を志向する。
なんでもいいのだ。
ただ、どうしても、自ら身を投じないといけない。
ぶつかり稽古。結構体力が要る。
次は十七文字のやりとりだと思っているが、当分先になるだろうな。