啓発舎

マジすか? マジすよ

今日から乾門開放で、朝からものものしい。

 

ヒトは爆増し、鳥は去る。

 

アオジとか、ふだん茂みの中でもぞもぞやってるのが、そこここに現れる。

林の主役は、渡りの準備か、あるいは、もう北に飛び立ったか。

 

つぼみはまだ固いぞ。

 

ということで、この先二三週間は、なんだか、な。

 

 

種としてのヒトの存続にまったく興味がない。

トリは生き残ったほうがよいと思う。

 

ヒトの営為も、空間を振動させてある種の秩序を再構築する行為以外、この宇宙に貢献できるものは、ない。

 

時空を感得する五感のセンサーという意味では、トリのほうが、はるかに凌駕している、その性能において。

 

鳥よりだいぶ鈍いが、おれにも五感はあるから、これで時空にある、という感覚をトリとか虫とかと共有できれば、よい。

 

 

外人が日増しに増えるが、国も私にとっては、全然ダメなので、自分の周囲50メートル以内ぐらいを「私の日本」としてやっていっている、ということがわかった。

自分のやっていることを遅れて自覚する。

 

この国の情緒は、全部自分のなかにあるので、それとつきあっていければよい。

自分と、自分のまわりの時空間があればよい。

「日本」は全部私の中にあるのだから。

 

梅のかおりも数寄屋の勾配も自分のなかにすでにあるものが、感応する。

 

ということを、休園日、居間で懐かしく追体験している。

 

ほんと、宮内庁には足向けて寝られないよ。