啓発舎

マジすか? マジすよ

N響

ソヒエフ

ビゼー1番

牧神

 

N響HPがこの四半期ぐらい延々サーバーメンテ、なわけねえだろ、故障中なので、いつものように貼り付けができない。

 

情報としては、うえで十分。

あとベルリオーズをやったようだが、わしゃ知らん。

 

ビゼーは、きびきび気持ちよかったです。

二楽章は、ビゼーお家芸、長い、長あい旋律を1stVnとオーボエでかわるがわる延々やる。

ビゼーの、一つの楽器で果てしなく、たおやかに続く音の流れをたどるのは、心地よい。

 

◆牧神

 これは、いろいろ感ずるところがあった。

フルート。

いや、いいんですよ。端正です。

ただ、「つかみ」として、機能したか。

これから始まるのは、牧神の遊戯か、お通夜か。

 

途中で、気づいた。

パユを聴いて、それほど日が経たないからだ、と。

 

パユを生で聴くと、倍音の豊かさに、びっくりする。

フルートに、えーとたとえばサックスを重ねたような、中低音の倍音が、高音域でも響く。

今回だと、なかほどで、フルートに桑田氏のチェロそろがユニゾンで重なるところがある。

その甲斐さんフルートプラス桑田チェロ、の音が、マユさんフルートの音色に近似、というかんじ。

 

比べて聴くのは、しかも、一方は残像なのだから、客観的ではないし、フェアじゃない。

日頃、レコードマニアのうんちく爺を音楽を「聴」かずに「読む」阿呆、と散々バカにしている主宰としてあまり好ましくはないが、実際に、気づかず、そう聴いてしまっていたのだから、これはしかたがない。

 

甲斐さんは、清らかに奏でていました。

 

 

全般。

真に優れた音楽は、特にドビュッシーは、再生装置では、ダメだ。

時空ふわふわ感は、その時空を同じくすることが必須なので、リビングじゃダメです。空間自体が再生不可だからあたりまえ。

じゃ、クズの山(©ワグナー)ベルリオーズは、そこらのラジカセでよいのか。

無論そのとおりだ。

PCの内臓ズピーカーでも全然かまわない。

響きなど、どうでもいい、ギミックに過ぎないから。

これを、気持ちよさそうに、全編エスプレッシヴォみたいに振るソヒエフは、感情移入できているんだろうね。

ヒト好き好きですね。

 

で、ドビュッシーだが、今夜の気づきは、ホルン。とハープのからみ。

ふかふかの座布団みたい。

 

もう、演奏会は、こういう刹那が、一瞬でもあれば、よいです。

 

だから今夜は、よかったよかった。

 

MVPは、無論オーボエ吉村さん。

出ずっぱりでした。

 

 

 

 

荻窪、代田で打ち合わせニ連ちゃん。

前半雨の中、戸外。

後半、雨上がるも、室内。

 

台風様がらみ、他。

昨日からの雨で、台風時の状況が一部再現、そこここに水たまり、で、水はけの具合が、わかる。

埋設管の排水能力次第で、土地の高低に関わらず、小規模な冠水はどこでも起こり得る。

おれのところの近所は、大事はなかったが、部分的には弱いところもあるので、土嚢の手配はする。

 

それやこれやで、後半は、割合まじめなセッションになりました。

 

予防をふくめてやることは全部やる。

各位、脇をしめるよい機会になった。

昨日北の丸でアオサギに遭った。

人目のつかないいつもの淵で。

 

アオサギは大ぶりなので、出会った刹那、インパクトがある。

お、と声に出そうになる。

 

公園をふらふらするときは、だいたい普通に鎮まっているので、その、励起というのですか、震えのような、感覚が、ずいぶん、広がる、しばらく。

 

振動といえば音楽、で、100人規模のオーケストラが、私を動かそうと、手ぐすねひいている。あさって。

ソヒエフとその一味。

 

きのうのアオサギさんと、どっちがインパクト大きいか。

 

この話は、結構、いまの自分には、時間をかける価値のあるテーマで、静まっているときの感動、というか、プラスの啓発ポイントは、それがかそけき響きであればあるほど、あえかであればあるほど、主宰に、響く。

 

という日常。

 

で、あってみれば、明後日、わざわざ溜池くんだりまで足を運ぶ必要があるか。

たぶん田舎のおまわりさんの路上集会状態であるだろうし。

 

 

今日なんかも、たまに、いい風が通います。

 

N響。パーヴォ。ルトスワフスキ

 

こういうプログラムは、テレビによく馴染む。

 

◆小組曲というのは初めて聞く。

 春の祭典。てか(©鶴太郎)。

 ところで、片岡鶴太郎は、わりと好きだ。

 半端にお芸術しなければ大成したのに、と惜しまれる。

◆オケコン

 これはよかった。

 三楽章の木管。みんなしてぴーひゃらやるところ。

 最後の方のコラールは、バルトーク二楽章中間部金管コラールの響きあり。

 

 パーヴォは、こういうのやらせるとうまい。

 

 もう、四の五のいわないで、どしゃめしゃだけやればよい。

八方うまくおさまる。

銀座と上海はどっちがナウいか。

 

という設問、たとえば。

 

ナウい」のものさしは、いまやもう、グローバル。

既に世界の中心は、アジア、銭だのヒトだのは中国、したがって、上海あたりが、グローバル価値基準の中心だろ、という見立て。

行ったことないが。

なんか、キューポラみたいな、シュールなビルだらけ、という印象だが、これなんか、ナウの象徴じゃ。

 

落ち目の島国一族が起死回生を狙うには、これをがんがん導入して銀座をナウくすることだ。

四丁目の日産のあとにできた建造物なんか、いい線いってる。

三信ビルをぶっこわして建てたのも、いいかんじだ。正面が裏口みたいな意匠なんか、キッチュでナイスだ。

 

日本橋の、なんちゃってお江戸趣味も、捨てがたい。

 

この、外人を引っかけるための「なんちゃって」ジャポニズムが、いつしか、ほかならぬ、この島国の善男善女をも、洗練、日本万歳、と、うっとりさせる日が来るのか、と日本橋に三井が二つ三つおっ立てた、ビルをのぞいて思ったのが、おととしぐらいだった。

 

いつしか、と。

 

いつしか、が、既に、になるのに、わずか1年だ。

 

3年後どうなるか、もう怖くて見通せない。