啓発舎

マジすか? マジすよ

N響 パーヴォのトゥランガリラ

 

 


第1917回 定期公演 Bプログラム
2019年6月19日(水) 開場 6:20pm 開演 7:00pm

 

メシアン/トゥランガリ交響曲 

指揮:パーヴォ・ヤルヴィ

ピアノ:ロジェ・ムラロ

オンド・マルトノ:シンシア・ミラー

 

パーヴォ  ブラヴォ!

 

パーヴォに喝采するのは、たぶんはじめてだ。

 

終曲の半ばから異次元に。

 

 

今夜は理屈をこねたくない。

 

では、思いつくところから。

全ての楽器がちゃんと聞こえる。

金管、打楽器群が主役ではあるのだが、脇から合いの手みたいな木管もきちんと拾うから、雑踏の猥雑みたい玩具箱をぶちまけたみたい好き勝手みたい、でほんとは緻密、が命のこの曲が、おれが今度買うソニーブラビアみたいに、来週納入だ、はは、立ち現れる。

 解像度、画素、高画質、という、パーヴォのいいところが発揮されやすい曲。

一方で、6番目の弦楽合奏の、消え入るように、ほんとに消え入る、あえかな響きなんか、しみじみでしたよ。パーヴォの棒からこの響き、は、いい驚き。

これがなかったら、今夜の弦のみなさんは、効果音お疲れ様ですもん。

パーヴォが常時こう弦を操れたら、その技が常備されたら、それでモーツァルトの29か38でもやれたら、おれは、応援してやってもいい。

 

いかん、いきなり理屈をいってしまった。

 

 

どしゃめしゃ、という表現を、おれはよくつかう。

今夜の★◎はドシャメシャよ、たく実際、というように。

ほとんど、その、まあ、ドシャメシャな場合に採用するのである。

片仮名でのドシャメシャ。

今夜は、といえば、とことん、どしゃめしゃだった。

ひらがなの、ね。

甘美などしゃめしゃ。

 

で、MVP。

迷うが。

 

銅鑼、だ。。

 

 

 銅鑼、といえば、辮髪のマッチョマンが一発かます、というイメージがほとんどでしょ。

 オーケストラ作品で、はったりでなく、このオブジェを組み入れているのは、おれの聴いたたかぎり、この曲だけだ。

 

かまし、でなく、必然性を帯びてそこに銅鑼がある。

 

めでたし。 

 

◆きのうのはなし。

 テレビ買うからみで、来いというので、かちより、じゃない、チャリよりアキバに行ってきた。以後、自転車で、という意味の記述として、「チャリより」、を標準的な用法とする。

 ネット最安値10万円引き取りなし、のところ、ざっくり9万、しかもキャンペーンでポイント20%還元、リサイクル処分込み、実質7万、という破格の条件なので、手間賃3万、とおもえば、行くだけのことはある。

 

 経済合理性からは、行く価値あったが、チャリ散歩としてはどうか。

 

 アジア化が完成したアキバを現認する意味はあった。

 以上。

 

もう、疲労困憊、というか、行き倒れ寸前、みたいな、よれよれ状態にちゃんとなったので、口直し、っていうんでしょうか、帰り、神田藪に寄ってみた。

 

火事があったのは知っていたので、改装は覚悟、というのか、このところ言葉の選び方がわれながら直截で、まあいいか、心構えはできていたが。

 

座敷が手前左側につけたし程度に減って、あとは、無味乾燥なテーブル席。なんか、学生寮、という印象。

 

 

 

奥の座敷はどうしたの、とおばちゃんに尋ねたら、そうなんですよね、と嬉しそうに解説してくれた。

 利便だのなんだの言っていたが、詰め込んでみました、ということですね、要すれば、私の理解では。

 

折角だから、座敷で庭ながめながら、せいろたぐりました、生ビール。

もともとここのそばは旨くもないので、文字通り味も素っ気もない。

昔は、場所の色気があったのさ。ここは。

その昔、奥の小上がりで、様々な人間模様を目撃した、記憶がよみがえる。

 

もう来ません。ホールドアップされない限り。

こうして、主宰の生息域は、また狭くなる。

決して、悪い気分ではない。

 

 

◆ヤクブ フルシャのN響 テレビ

 リヒャルトのツァラトゥストラベルリオーズヤナーチェク、というとっちらかったプログラム。

 ご当地やなーチェックm聴きごたえあり。

 一点だけ。

 打楽器、なんとかならんか、それとコンバスピチカート。

 ヤナーチェクは、バルトークなんかもだが、削り出したて、みたいなパーカッション、がないと。

 パーヴォの弦チェレをおもいだした。ホールにいた。とほほでした。

 つけあわせの、カルテットのVnのお姐さん二人組の、ごついボーイングこそヤナーチェク節だ。

 

◆クロムキャストを導入してからyoutube漬け

 ジャズのフルコンサートを毎晩流している。

 Diana Krallさん、なんか、いいですよ、深夜流すのに。

 

 

 クラールさんのは、歌、というより、お経です。

 お姿も、能面。

 それが、いい。 

 

音源は結構あるけど、モントリオールフェスのライブが、いちばん、かな。
 ドラムが、ピーター アースキンだ。

 

 

 

 

オードリー・ヘプバーンの素晴らしき遺産

監督/出演
監督:マリオ・ザンピ 出演:アリスティア・シム/フェイ・コンプトン/ガイ・ミドルトン/ヒュー・グリフィス/オードリー・ヘプバーン

 

 

 傑作。

 

年とる愉しみとは、期せずしてこういう宝石を拾うこと。

 

 

1950年の英国。

階級社会の残滓、がキーワードか。

 

 

 

 

 

 

雨があがったので、北の丸チャリ散歩。

この季節の美しさを体で感じられるようになったのは、ついこのニ、三年ほどのことだ。年は取るものだ。

肺まで届く緑。

 

で、毎日のビルでとんかつ定食700円税込みを食って、壁新聞、こども新聞、は、今回は割愛し、東京堂方面。

 

内田百閒の未発表日記とか、井筒の、スーフィー老子、翻訳、とか、今日は、すこしみるべきものあり。

井筒の翻訳ものは、わかりやすい。

 

いちばんは、ショーペンハウエルの解説本。おフランスの作家が書いた。

ショーペンハウエルは、文庫もやたらでてる、平積みも結構あるので、いまさら感あり。

今回、お、と思ったのは、腰巻です。

「元気のでる悲観主義」と。

 

すこし笑った。

で、すぐ浮かんだのは。

カフカもそうだよな。

 

おれがカフカをたまにひっぱりだすのは、元気がでるからだ。

 

ショーペンハウエルをぱらぱらやるのは、気が合うからですね。

このじじいとは、話があう。

 

そんなとこ。