啓発舎

マジすか? マジすよ

このところ、うじうじ浮かぶこと。

この国の人は、一般に、自分とまわりの違いをあげつらうのが好きだ。
あげつらう、という言い方には、なんだかあまり面白くないイメージがあるが、マイナスの意味ではいっていない。
あげつらう、という言葉がいちばんぴったりだからに過ぎない。

格差好きなのは、別にいいんじゃないですか。

金を基準とした差異は客観的でわかりやすい。
そりゃ銭金の格差はありますよ。
おれなんか、現実にこうして自分が貧しいのは平気だけど、自分より持ってる奴らがいるということを思うと悔しくて歯ぎしりしてます毎日。
貧乏は全然平気だけど他人が金持ちなのは身を切られるようにつらいです。
ハハ。


ところで、当方は、フィナンシャルタイムズ社説マニアです。
社説書くバカを鑑賞するのが面白いのであるとともに、かの国の社会構造があぶりだされる、みたいな、フィールドワークとして見ているのでもあるのだね、実は。少しは。


それで、大英は、いまでも金の格差だけでなく、何読むか何食うか学校どこかとか気取り方とか、いじいじした格差があるようだ、とわかる。


そこへいくと、この国は、まだ、そういうのがないだけましじゃないか。
と私は言いたい。


ところが、それを言うと、いやそんなことはない学歴だの身過ぎ世過ぎで身を寄せている集団だので銭金以外のなにやかにやが厳然としてある、とすぐ反論がかえってくる。


再度いう。
そんなことはない。


だっておれがそうだもん。
おれのつきあいは、格差なんか全然関係ねえもん。


金もっている奴とのつきあいも正直少しはあるが、ない奴とのつきあいのほうが断然多い。
金のない奴はおれんとこに来い。
おれもないけど心配するな。


学校とか会社とかは、これは全く関係ない。
というより、肩書きのややこしいやつは、もちろんそいつを見てのことだが、結果としてダメなこととが圧倒的だ。
気の進まない奴は、だいたいこのあたりに密集している。


で、小さいサークルのなかでほのぼのやっているわけです。
ガス欠。
続きは気が向いたら。