で、予期したとおり、疲れエネルギーどばどばよ。
こういう日にオリンピック決定とか言われてもなあ。
マドリッドでよかったんじゃないか。
毎日株価見ていて感じるのは、この国は、ダウンサイジングでいいんじゃないか、ということに尽きる。
無理やりあれこれしてどうする。
少子高齢。右肩上がりは無理ですよ。
人口減って身の丈で静かに暮らすんでいいだろう。
おれなんか、さんまとお新香があればいいよ。
お誘いが相変わらずちらほら続くのだが、即座にゴミ箱、或いはメール消去の類は除いて、はっきり二つにわかれる。
うーん、というのとそうでないの、と。
兼好法師の教えを守り、やろうかやらないか迷うことはたいていやらないほうがいい、という方針を堅持すると、三割ぐらいは、見送りだ。
でも、その中で、自分でも意外なのは、従来気が進まなかった用事が、なんだか楽しみ、てなこともあるんです。
用事は、割と事前準備してああだこうだというプロセスがある、ただ飲むだけというのとは違う。
いきおい、面倒はちょっとなあ、というので少し億劫だったというだけの、身も蓋もない理由なのだが、ものぐさをもって鳴るおらを引っ張るパワーはいったいなんだ。
その人が、おいらに輪をかけたおじさんだ、ということだ。
めんどくさがりや、ではないな、彼は。まめに連絡くれるのがその証。
おいらを凌駕する、と感服するのは、あれよ、まあいんじゃん力。
まあいいじゃん。
これですよ。
肯定する精神。
これは、時に、わけのわからない包容力の外観を備えることがある。
包容するためには受け留める腕力がいるから、おいらなど、到底無理だ。
彼の腕もそれほど太いとは思われない。
従って、彼のまあいいじゃんは、基本無責任なのではある。
待ち合わせ場所も、2階麺コーナーからB3会議室など、ころころかわる。
約束の内容もいまもってファジーである。
こっちがあわせる構造よ。
で、会って一緒にあれこれやるのだが、
「このへんどうですか」
「まあいいんじゃない」
というかんじ。
あ、先方は目上です。
季節の変わり目は、まあいいじゃんで、しのぐ。