N響は書いておいた方がいいか。
準メルクル。
サンサーンスの三番、他。
あとなんだっけ、リストの1番とプレリュードか。
れプレリュードの出だしのピチカート、麻呂がポン、あわせてみんなポン、遅れて指揮者の棒、という始まりでありましたよ。
別にそれは、いい。
ピチカートは、弦の奏者は、全員指揮者でなくコンマスにあわせる、おれもそうする。
でもなあ。
冒頭ピチカートは指揮者泣かせということか。
いやその、今回の指揮者をあれこれ言うともりはない。
端正にやっていた。
サンサーンスなんか、曲と今回の指揮者はあってるんじゃないか、と思う。
聴きながら、聞き流しながら、なんだろうな、とずっと考えていて、考えたわりには月並みだが、こういうことだ。
この人は、いったい、なにが言いたいのか。
小澤に思うことと一緒。
ヂュトワの言いたいことはわかる。
アシュケナージもわかる。
ブロムシュテットさんなどは、ははー、というほどわかる。
スラットキンもわかる。
メルクルさんは、なにがいいたいのか。
なにが言いたいか、でいうと、マゼールもわりとわからないほうだ、いま思いついたが。
ピアノは、名前忘れたが、かっこいいおにいさん。
音は、当方の席のせいか、ときどき混濁する。
今回サンサーンスで思ったのは、弦がときどき、明らかにアンサンブルが乱れたかのような、細かいパッセージをみんながやってるのだが、それがもやもやふにゃふにゃ聞こえるところが随所にあって、それが、いたく当方の気にいったのであった。
あとはどしゃめしゃですね。
最終楽章、というのでしょうか、後半部の後半は、CDurで如何にはったれるか、オルガンまでまきこんでどこまでいけるか、という実験のようなイヴェントですね。
正しく笑えた。
メルクルさんと合ってる。これは、中身を問わない。
この曲を聞いて、サンサーンスさんはいったいなにが言いたいのか、という問いを発するやつはいない。
一回これやりたかったんだ、おれ、ハ長調の主和音でひたすら見得を切る、ということを、ということだ。
ベートーヴェンもやっただろ5番で、というところか。
リヒャルトもやったな、やっぱりオルガンつきで。サンサーンスとどっちが先かわからんが。
愉しめたのでよかった。