17日の金曜日、上野まで琳派をみにいってきた。
良かった、のだが・・・。
京都にいたころ、光琳乾山兄弟展だのなんだのかんだの、骨董やの店頭だので、琳派は日常そこらで目に触れる。
ガラス越しにこれだけ集められても、という気持ちも正直ある。
京都で琳派をみると、近所のおじさんの作品展、という日常感がある。光琳も乾山も、光悦も、宗達も。京都の町場のおじさんだったわけだし。
宗達の風神雷神はこの五月に建仁寺でみたが、方丈のお庭の雄大な感じとあいまって、雄渾な印象が残っている。
琳派は、そういうものではないか、純粋に環境と切り離して鑑賞するのではなく、その作品が生まれたもろもろの中で味わうものではないか。
光悦の茶碗もなんだかさびしそうだ。
気を吐いていたのは、鈴木其一さんです。この人は、完全に近代というか、当方の側に足をかけている。近所の茅場町のおじさん、というかんじがする。
この人のモダンなかんじは、そのままこちらに、くる。
きのうは中野坂上あたりに半日いたが、どしても東京は、散文的、だよな。