五感のセンサーとしての瞬間、刹那。
この世でやっていく本質はこれ。何度でもいうが。
で、五感は、もう、絢爛豪華な色彩だの重層的な音響だのなんだのかんだのではなく、静寂を求める。
それは、毎日の緑のゲートで完全に実現している。
したがって、もうこれに付け加えることはない。
別に24時間365日、その環境の中にいる、ひたっている必要もない。
残像はあるのだから。
五感が、その中で安寧を感得するのは、ただいままさにそうしているように、しずかにしていればよい。
銭金だのなんだのは、この環境を整えるためにあるので、すべては、ここから逆算するのが正しい。
で、銭金のため、この環境に、水面が揺れるのは、話が逆である。
水面に波紋が広がるのなら、一定以上の高さになるのであれば、その銭金活動は即刻中止すべきである。
銭金は、静寂のためにあるのだから。
という行動準則が、これから、折に触れ、私の日常を領する、ことになる、一層。