いつものカフェ。
耳うどん。
ということばに初めて接したとき、とっさにうかんだのが、いま、現に私の斜め前で放心しているように見える若いサラリーマンの横顔、そのものの景色だった。
もちろん、これは、栃木県佐野市の郷土料理のことであるのだが、いま、耳うどん、という表記に、大方のヒトが連想するのは、私と同じ景色ではないだろうか。
ことばと、その対象の親和性、という意味で、これは秀逸である。
まず、「耳うどん」ということばが、はじめにありき、で、最もこの耳うどん、というコトバに適合したオブジェを作ろうとして、アップルが巨額を投資してできたのが、このプロダクトだった。
断じて、アップルのイヤホンに後付けでついたあだ名、などではない、と主宰は言い切る。
それぐらい、今、現に、私の斜め前にいるサラリーマンの間抜け面は、耳からうどんをぶらさげた阿呆、というパフォーマンスをストイックに演じているようだ。
震えるような感動を覚える。
異星人に「ヒト」を説明する際、図鑑に掲載する映像は、これできまりだ。
現場からは以上です。