見城徹が地味に、小突かれたり、よいしょされたりしている。
一部の好事家の世界というなかれ。
酷薄、じゃない、告白するが、いま、俺たちのが最する注目あうる雑誌は、こいつが出している、goetheというやつだ。
なんてよむんだろう、ギョエテ、か。
もちろん中身はみないのだが、表紙がスリリングだ。
今月のあほう、と勝手にキャプションをつぶやいて、表紙だけながめる。
踊る阿呆に見る阿呆、おなじあほなら。
そりゃ、見てるほうが楽だよ。
阿呆というものは、自ら演じるものではない、見て楽しむものだ、断固。
もちろん、阿呆を見物する当方のあほさ加減をふくめて。
こいつばかだな、と喜ぶおれはあほうだ。
そういう意味では、今月は長嶋一茂なのだが、阿呆の迫力が少しく弱い。
先月かそのまえは、サッカーの「旅人」中田、秋元組、ほりえ、あとだれだったか、が、ワイングラスを手にポーズをとる、絶妙な組み合わせだった。
7分経過。これが限度。