数字がなんとか整理できたので、次は如何に生きるかを整理したい。。
生きがいとは、幸せとは、人間らしく生きるとは。
人生の大問題だ。
このブログでも、折に触れて、この深甚なるテーマに取り組んできた。
この機会に、この問題に主宰がどう向き合ってきたか、過去の発言を引用するやり方で中間報告したい。
では。
★問う。主宰よ、人生の意義、あるいは意味とは。
回答します。
◆人生に意味などありません。
最低限の食い扶持が確保できたら、お迎えが来るまで暇つぶしするだけです。
この「お迎えが来るまで〜」のフレーズをいままで何回唱えたことか、このブログで。
★更に問う。では、如何に生きる、あるいは「暇つぶし」するか。
回答します。
◆意味がないので、「如何に」の命題は成立しません。
意味を考えずなにやらかにやらやることを、今、仮に「遊び」と定義すると、遊んで暮らす、遊び呆けることこそ、主宰の生きる途です。
遊びせんとや生まれけむ、ということです。
この「今日も遊び呆ける」のお題目を今まで何回唱えてきたことか。このブログで。
★更に問う。では、如何に遊ぶや。石けりとかゴム跳びとかですか。
回答します。
◆自分に退却することです。
これは、少しく、難しい。いまは、ちょっと、詳述しない。そこまでサービスしません。
★更に問う。自分といちゃいちゃするだけじゃなくとなりのミヨちゃんとかとは遊ばないの。
回答します。
◆ヒトは厄介な生き物です。罪深いとか業とかいう耶蘇教が得意な難しいはなしではなく、単に、七めんどくさい、というだけの意味ね。
ヒトとの交渉の極意は以下です。
他人からいきなり空手チョップかまされたり、耳元で爆竹鳴らされるのは、私はいやだ。
きっと、他人もそうだろう。
だから、私も、なるべくヒトを背負い投げしたり、手回しのサイレン鳴らしまくったりするのはよそう。
要すれば。
お願いだからおれをほっておいてくれ、おれもほっとくから。
おれがイモ食えばお前が屁をこくか、の呪文を、このブログで何度唱えたことか。
しかし、なんだ、交差点でいきなり手回しサイレンならして、「はい、そこ、緊急車両通ります」ってのは、一度やってみたいような気もするね。
本日も、北の丸の緑、豊かなり。