映画をみるとき、当方が心がけることがひとつだけある。
「バカでいる」。
バカである、でも、バカになる、でもなく、バカでいる。
バカ、という状況、状態を維持する。
バカをもちこたえる。
土屋さんのモットーであるらしい「バカでいる」という言葉に接したときの私の衝撃は、サウロがパウロになった一瞬に匹敵する。
で、まあ、最近でいうと大砂塵なんか、名画ですよ。
きのうみた「シャイアン」はクズ。
ジョンフォードのアリバイ工作に3時間も付き合ったおれは、愚か者だ。
で、今夜は「イミテーションゲ―ム」。
終わってからwikipediaをみると絶賛の嵐。
なんか、みんな難しいこと言って褒めるので、この映画にヒーヒー言う奴はお利口さんだと、知れる。
これはおれにとって意味のないことではない。
この映画をよいしょする奴、そいつにからむもろもろを予め排除することで、ウンコを踏むことを未然に防止することができる。
賢くやっていくために、これは、効率的な技術だ。
愚物、凡庸、スノッブ、そいつはどうでもいい、そいつに群がる有象無象を一網打尽にできるところが、この技の急所だ。
おれに言わせればこれは映画ではない。
説明、あるいは、解説だ。
映像である必然性は皆無だ。
展覧会で一番人混みができるのは、非常にしばしば、絵画そのものでなく、それを説明するプレートだ。
絵、ではなく、能書きに群がる善男善女。
その能書きを映像にしてみました。
いかがでしょうか。
というのがこの映画。
こんなこといちいち書く義理もないので、このブログには対価がないので、これで終わります。