啓発舎

マジすか? マジすよ

おれのような「しないでいること」が無上の安らぎである生き物にとって、自らが三国一の仕合わせ者でることを認識するには、多少の技術がいる。


クールでワンダフルな「日本人」のみなさま一般は、ご主人さまであるところの座敷犬にリードでつながれて法悦、とか、地上波民放見て昇天、とか、行為にともなう対価というか滞貨というか、が具体的にあって、まぬけ、失礼、「幸せ」が具体的に明らか、であるが、外観はなにもしていない、という状態が至福、というのは、傍からみて、わかりにくい、と思う。
おれなんかも、動物園で爬虫類を見ると、彫刻のように微動だにしないのを見てすこしそう思う。


傍がとやかく言うのはどうでもいいとしても、自分でも、ときどき、で、おれは、どうなんだ、と。


そういうとき、今回のようなことがあると便利だ、助かる。


あいつらのような、心底愚かなやりとりを「しないでいること」を、気が利いている、というのだよ。と。


財務省を嗤う勤め人階層は、みんな目くそ鼻くそなんだけど、世間は一斉に大蔵省も地に落ちた、とかいって、溜飲をさげるんだね。


一般に、財務省を含む広義の奴隷階層である勤め人の日常は、もちろん、なすりあい、刺し合い、押し合いへし合いで成り立っているから、たとえば、とりあえず、そういうことどもから無縁である、ということが、ぼーっとする、という状態の一部をなす、と思えば、そりゃ悪くないぜよ、という実感が、わこうってもんだ。


とことんどうでもいいはなし。