フェイクニュースの新しい局面について
加計がらみの文書がほんもの、と、リーク元のおやじが文春で言っている。
文春がよく抱え込んだ。ヒットだ。
ゴロまいた新潮は、ネタ元の風俗通いで、文書騒ぎは没か、との観測。
今回は、文春の圧勝だ、誰がみても。
ここまではどうでもいい。
今回の面白は、前川次官の出会い系通いを騒ぎ立てたのが、読売だということです。
アベ筋に書けといわれて、はいわかりました、と流したんだろうね、みんな言ってるように。
おれは読売は政府広報だから、別にいいと思う。
そういうこと。
フェイクニュースは、いまや、どういうフェイクか、だんなは誰か、そのへんを読み合わせて判断する次元になっている、ということです。
読売産経はそういう意味でわかりやすいメディアだ。
基本排除する、接しないからいいが。
日経はもともと業界紙だから当然。
朝日は朝日で、反権力が売りだから、それで営業しているわけだから、他人の商売にとやかく言うことはない、合法であれば。
ただ、それが、このところ、なんか、極端になっていますね。
それで思い出した。
加計のツラをみたが、第一印象は、籠池だ。
人相も少し似たところがあるが、雰囲気ね。写真から漂う体臭。
山本幸三にも同じ臭さがある。
アベのポチ、あるいはポチだった奴、は、みんなこの生ゴミ臭がある。
うさんくさいオヤジの。
おれは少し不動産をかじっているから、こいつらには敏感だ。
ひっかかったらおしまいですから。
アウトローとも少し違う、品性に関わること。
品性がない、のではなく、下品を究める、というか、極めつくした下品さというか。
ぴちゃぴちゃ音をたてて食う、とか、そういう現象面でなく。
こういうことは徹底的にやることが肝だ。
身を捨ててこそ浮かぶ瀬もある。
トランプが、このところ元気ない。
アメリカでも爆買いでも、この国でも、どこでもいいが、新たなタレントの登場に期待が高まる。
正視に耐えない、というレベルのヒールに。
アベがいるからいいか。