ようやく自分がただいましてくれたようなので、自転車散歩。
アキバ。楽器屋によばれていたこともある。
アキバは、九段の坂を下りると平坦なので、チャリだと楽だ。
10本ぐらい試し弾きした。
今回の収穫は、普及価格帯のほうが楽器の個性がはっきりしていることがわかったこと。
お値段が高くなると、イタリアンはイタリアンの音、ドイツはドイツの音、で、はっきり違いがでるが、同じイタリアンの楽器では相互の個性はむしろ少なくなり、同じように鳴る印象。
今回はちゃんと本屋に寄り道しました。
古本屋はほとんどやっていないので、東京堂。
岸田森のやつが平積みだった。今回はソフトカバーではあるがでかいブツだ。
なんか、ブームか。
後半のデータがやたら詳しいのでどうしようかと思ったが、値段をみて思いとどまった。
平積みだと、あと「新股間若衆」ですか、タイトルだけだが。
ここで、思いついたので、「面白」の講義をしたい。
「股間若衆」は、確か、芸術新潮の特集かなんかが初出じゃなかったか、当方の記憶だと。
で、今回の平積みは、その続編か、「新」股間若衆。
これは、実は全然「面白」ではない。
おなじ芸術新潮で、このブログでも言及したので「ダリってだりだ」というのもあったが、こっちのほうがよっぽど面白い。
ただの駄洒落じゃないか、「だり」でも思いつくぞ、ハハ、という向きに申し上げる。
「ダリってだりだ」には理屈が介在しない。
とっさに面白い。純粋にばかばかしい。
「ここにシャチあり」なんかと通底する。
ここに面白あり、なんですのよ、殿下。
そこへいくと、股間若衆、さらにダメ押しで「新」股間若衆ともなると、あざとさしかないです。
わかったわかった。
こういうのは一見面白のようでいてその対極にある。
面白か否かは、どこまで、意味というものを捨象できるかで決まる。
くだらなさの純度による。
股間若衆なんて、まして新股間若衆なんてどうだ面白いだろうの手つきばればれ、ほとんどまぜものだらけ、こんなブツ扱ったらまともなシノギはできんぜよ、おじき。
でも、たとえば、編集会議で、タイトルこんなのどうですか若衆=和歌集で、と編集Aが発言したときの、おー、という仲間内の盛り上がりまでは、良しとしたいという気も少しする。
というわけで、久しぶりに平和な一日。