啓発舎

マジすか? マジすよ

森安については二回言及した。
はじめは3月7日
以下全文再掲する。

◆大阪の学校騒動は、関西のおっちゃんの日常、でケリ。
 大義名分印籠になればなんでもいい、たまたま今回は教育勅語とかなんとかかんとか、をひっつかんで、センセイをつかって行政をゆする。これぞナニワのおっちゃん、でもおばちゃんでもいいが、の生きる道。
 世の中ゼニや。やったもん勝ちが基本動作だ。
 これで味をしめたら、次回は貧困ビジネスか。
 アベの交友範囲は安っちーなあ。
 類は友をよぶ。
 一点だけ。橋下が浮足立ってるようにみえるのは、おれだけか。

今読むとあたりまえみたいだが、当時はまだこのおっちゃんは筋金いりの右翼と思われていて、メディアは、教育勅語教育は怪しからんとか、まじめに騒いでいた。
そんななか、ひとり、違うだろ、こいつはただのゆすりたかりだ、と喝破した自分の眼力には、いつもながらほれぼれする。
敵が100万いようと我いかん、の心意気だ。


ま、おれがエラいかどうかはともかくとして、メディアは、いつも、こうですね。


いかんこんなことにかまけていては。
また、枕でおわってしまう。
今回のお話は、おれはこのおっちゃんが、そんなに嫌いではない、ということだ。
それどころか、かすかに面白ではないか、かすかに。
全面的に、とはいわない、さすがに。関西的どぎつさあざとさは、体力的にちょっと。


いやね、いま、仕事関連で一部上場会社とすこしやりあっている。
サラリーマン社会と。
組織の論理に逃げ込んだサラリーマンの非情さは、いまっちょっと、比較するものが思いつかない。
酷薄、というのは、まだ、底冷えする「感情」の痕跡のようなかんじがまだあるが、今回は悪意の感情すらなし、サメかカラスか、というかんじ。
こういう奴がでてくると、当方は、どういうわけか、サメカラスを連想する癖があるな。


そういう日常にあって、このおっちゃんの騒動に接すると、おれなんか、ほっとしますね。
こいつだって、銭金の世界で体張ってるじゃないか、みんなに見捨てられていまやひとりで。
身を捨ててこそ浮かぶ瀬もある、と誰かに抱きついて逃げ切りを狙っているふしもあるが、たぶん失敗するでしょう。


水に落ちた犬は、世間は、メディアは、がんがん叩きます。
おれなんか、つむじ曲がりですから、そうなったら、手を差し伸べてやってもいい。
 教育勅語の額かなんか送ってやろうか、ほんとに信奉しているのなら励みになるはずだ。