啓発舎

マジすか? マジすよ

内山節さん。
以前トランプ関連で引用させていただいたが、今回は、この国の国家の成り立ちについて。
現代ビジネスより。秀逸である。以下、二番目のパラグラフから最後まで。

◆近代日本が抱えた一大矛盾
1968年(慶応3年)、王政復古の大号令が発せられる。もっともこれで大勢が決まったわけではなくまだ微妙な状況がつづくのだが、倒幕に成功すると次におこなわなければいけないことのひとつは、自己の正統性の確立である。
そこでおこなわれたのは、神代、つまり神話の時代への復帰であった。日本列島をつくった神の子孫である天皇が、現人神として統治する日本という構図である。いわば、神国日本の時代に復古しようとした。
神国日本の大系として国家神道がつくられ、それまでの神仏習合的な寺社の世界は、神仏分離令神仏判然令、1968年)や神社の統廃合によって天皇を大王とする「神国」の形成がすすみ、そのことが復古した国家に正統性を与えることになったのである。
ところがここで矛盾がでてくる。
江戸時代の終焉は黒船来港以降の状況のなかで、新しい国家態勢をつくらなければというところから出発している。欧米列強に対抗していくためには、近代国家日本をつくらなければならなくなったのである。実際明治以降の日本は、その方向で歴史を刻むことになった。
とすると神代の日本への復帰と近代国家日本をどう調和させればよいのか。

日本で選挙制度が生まれたのは明治23年(1890年)のことであったが、このときは税金15円以上を納める25歳以上の男性にのみ与えられた選挙権であり、大正14年(1925年)に25歳以上の男性全員に、さらに昭和20年(1945年)に20歳以上の男女すべてに選挙権が付与されることになった。
つまり明治時代に入っても、まだ長期にわたって「国民が選んだ政権」という正統性は確立されていない。だから統治権を正統化するためには「神国日本」という位置づけが必要であり、だが現実には近代日本を形成しようとしている。
ここにはどうみても矛盾がある。
もちろん近代国家でも王(女王)がおかれている国はあるが、その場合は一種の契約王制にならざるをえない。なぜなら主権が国民にあり、選挙によって政権ができるのなら、王は契約された限られたことを実行することによって存続する王にならざるをえないからである。
ところが戦前の日本においては、国家の主権、大権は天皇にある。神代に復古するのなら、そうならざるをえない。だがそれは、近代国家のかたちには合わない。
この矛盾は、次第に、天皇の大権を実質的に制限する方向に向かわざるをえなくさせた。天皇の名において政治はおこなわれるが、実質的に政治を動かしているのはときの政権や軍というかたちである。
天皇は制限のない王権を有してはいたが、実際は精神世界の王のようになっていった。
それは藤原摂関家のやり方とも違っていた。藤原家の場合は、藤原氏が臣下として実質的に政治を動かすというかたちであるが、戦前の天皇制ではそういう側面だけではなく、国民の精神的統合の柱に天皇が存在するというかたちをあわせもっている。
戦後の天皇
このかたちを「深化」させたのが戦後の天皇制であったといってもよい。
もちろんこの変化にはGHQの意向も働いたのだが、戦後の天皇制は、国民統合の象徴として定着することになった。国民であることの精神的統合の支柱として天皇が存在するということである。

敗戦後、昭和天皇は日本各地を巡幸した。1946年2月〔PHOTO〕gettyimages

政治からは切り離され、限られた役割をこなすという点では契約王制に似ているが、戦前の精神的統合の支柱という役割を受けついでいるという面では単なる王制ではなく、特別な存在なのである。
だがそうなればなったで、また矛盾がでてくる。国民統合の象徴というところが曖昧なのである。
ところがこの部分は曖昧でなければならない。「神国日本」は戦後に否定され、天皇人間宣言をしている。このことを文字通りに解釈すれば、一人の人間が国民統合の象徴だということになるのだが、これではなぜ一人の人間が国民統合の象徴なのかが説明できない。
戦前ではそれは、「神国日本」の神の子孫という位置づけがあったからこそ可能であったが、現人神ではないということになれば説明ができないのである。
だからそこのところは曖昧にしておく必要があった。なぜ一人の人間が国民統合の象徴でよいのかを説明しないということである。その代わり天皇はみずからの行動によって、象徴の役割を果たし、象徴として国民の信頼をえていくことになった。
だがそうであれば、象徴としての行動をつづけることができないのなら、その役割は終了せざるをえなくなる。そのことが表面化したのが、昨年の「退位のメッセージ」の公表であった。
◆国家の本質
はじめに述べたように、国家は必然性があって生まれたものではない。発生することによって事実化されたのである。
事実化されればそれが必要なものであるかのように感じられる。なぜなら私たちは、その事実化された世界の内部に存在しているからである。
だが国家が必然性をもって生まれたものではない以上、国家は絶えず正統性の確立のために苦労しなければならなかったのである。
普通選挙がおこなわれることによって、政権はその苦労から解放された。国民が選んだ政権という説明が可能になったからである。だが国家自体は依然として事実の積み上げでしかなく、しかもその国家が存在することによって政権もまた存立基盤を有する。
国家のゆらぎは、政権のゆらぎを生みださざるをえない。
この連載のテーマは黄昏れる国家である。現在の世界の背後には、近代以降の価値が有効性を低下させていくという現実があり、それが国家のあり方をもゆらぎのなかに放り込んだという問題がある。
だがそれは正しい見方ではないのかもしれない。
なぜなら、国家には絶えず矛盾があり、近代社会はその矛盾を解消させたように感じられる時代をいっときつくっただけで、根本的には黄昏れる可能性を内蔵させながら展開してきたのが国家だったのかもしれないからである。

私流に要約する。

国家は事実として発生し、当初それ自体に正当性はない。
既にある王制は事後的に国民に信任を問うて与えられる「契約」統治の正当性により「王は契約された限られたことを実行することによって存続する王にならざるをえない」。
ところがこの国の戦後体制では、天皇は「政治からは切り離され、限られた役割をこなすという点では契約王制に似ているが、戦前の精神的統合の支柱という役割を受けついでいるという面では単なる王制ではなく、特別な存在なのである」。


最後の引用部分は、象徴天皇制を簡潔に語り余すところない。
内山さんの見立てに全部賛成。


で、以下、その先自分で考えたこと。
巷では「象徴」を曖昧だとかごまかしだとか言う奴が多いが、おれはそう思わない。
いい制度だと思う。



「象徴」であることによって、国民一人ひとりが、自由に自らの思いを仮託できる。

何度もいうが、おれにとっての日本は、さんまがうまい、とか、桜でうっとり、とか、そういうことだ。
そこら中に美がころがっている凄い時空間だ、ということだ。
それに尽きる。
おれほどの愛国者はいませんよ、だから。

で、その絶対的愛国者、臣である啓発舎主宰が首を垂れるのは、文化、習俗、海の幸山の幸、山紫水明、ほのぼの花見紅葉狩り、他、この国に生きる人々が培ってきた、およそ美しく生きること、というふわふわした実在であります。


今上陛下は、その象徴なんでありますよ。


これは大事なことだ。


これも何度も言ったが、日本人、とか、経済大国とか、そういうことどもとは、おれは同化できない。
ぴんとこない。
だから、ネトウヨとかアベとか産経とかのおこりんぼがまくしたてることは、どうでもいい。


だけど、この国には、どの国にもあるそういうわかりやすい、バカのおれさま意識、ハハ、と言い換えてもいい「愛国心」とは違う、ふわふわした朦朧とした意識、というのは言葉が強すぎ、なんだろう、私の常套句でいうと「時空間」みたいなものが、確実にある。


戦後体制は、そのふわふわを天皇陛下に仮託したのである、と、今おれが勝手に決めた。


陛下は、誰よりもそのことを深く認識され、一身をなげうってつとめてこられた。
最近も、ベトナムに巡礼の御幸だ。

そういう、ひとりの人格として尊崇するというということもさることながら、それ以前に、この不思議な国の中心にあるおおいなる「虚」みたいな存在として私は額づくのであります。まず。


だから、その「虚」をそれこそ象徴する空間として、帝都のどまんなかにぽっかり緑地があってもいい、近隣住民としては正直不便だが、臣としてこれを耐え忍決意を新たにした。


ということで。