啓発舎

マジすか? マジすよ

FTが好調だ。
[FT]崩れゆく民主的価値観 漂う独裁への誘惑
2017/2/26 2:00
以下、最後の段落のみ抜粋。

有権者にとって目的でなく手段
 ロシア、フィリピン、南ア、果ては米国でまで民主主義への支持がむしばまれつつある共通の背景は何か。それは多くの有権者にとって、民主主義は目的を達成するための手段であり、それ自体が目的ではないということだ。もし、民主主義が南アのように雇用を創出せず、フィリピンのように安全をもたらさず、米国のように生活水準の停滞を招くとしたら、むしろ独裁的な体制に魅力を感じる有権者が出てくることになる。格差が拡大し、経済や政治を支えてきた仕組みが一握りの人にだけ有利に働くよう「でっち上げられている」と感じられれば、独裁的な体制へ傾く可能性はさらに高まるだろう。
 もちろん、政治的な自由はそれ自体価値があり、人間の尊厳にとって欠かせないものだと見なす人は常に存在する。とはいえ、刑務所に入る覚悟で体制批判をする人は今はほとんどいない。冷戦末期を見届けた米国のレーガン大統領は「自由を認めることこそが社会をうまく機能させることになる」とよく豪語した。残念ながら、もし一般市民がそれを信じなくなったら、自由を守ろうという人もいなくなるかもしれない。

時間がないので手短に。
多くの人々にとって民主主義は普遍の理念でなく、手段に過ぎない、と言い切る。
賛成。その意気やよし。


さらにおれは言う。
格差が能力と連動していることがいらいらの原因だ。
昔は、埼玉の地主のバカ息子は、そこそこ金持ちでいられた。
いま、知恵と度胸がないと維持できない。
学歴でも、もともともってる、でもなく、その人間のサバンナで生き残る能力と経済的な自由が連動するという冷厳な事実の前に、自らが向上することをハナから断念し、となりの半島を目くそ鼻くそしてみたり、強権的な再分配を呼号したりする。
そういうこと。
アメリカもフランスもこの国も一緒。


アメリカの製鉄所の労働者はついに報われないし、この国の「最高学府」でパラダイスのぼーやは奴隷へまっしぐら。


箱根だ、これkら。