前から、しようと思った話。
頭出しだけになるかもしれない。
痕跡、ということ。
すぐスタミナなくなるので、ゴール、と、おぼしきあたりから。
◆年をとると、痕跡がたよりだ。
◆これからは、おそらく、それだけを糧としてやっていく。
すげえ。おれの生きる途を二行で言い切っている。
考え癖、という言葉をよくつかう。
ある事象があったとき、だいたいこういう過程でこういうふうに考えて判断する。
おれなんかが、そうだ。
感じることもそう。
特定の音楽に感応する。
ある風景に、トランスするか、と思う。
人間のある営為を面白がる。
人間のある営為を敬して遠ざける。
いまから、これに新たになにか付け加えるとか、いくらなんでもこれは抑えようとか、いずれも無理だ。特に後者は。
おれに、面白がるな大のおとなでしょ、とは自分でもいえない。
世間と関わる、これが最低限の絆だから。
おれに、面白を捨てろ、あるいはおさえろ、という判決がでたら、火星に移住する。
こういうもろもろは、痕跡みたいなものじゃないだろうか。
もう今から新しいことは無理だ。
だがいままでのなんだかかんだかとかが、たとえば、音楽を聴くとき、なにか自分でも思いがけなく感応すること、とかでもやもやすることがある。
これ、とおぼしい体験を探りあてることも、まれに、あるが、ほとんどは、なんだかわけがわからない。
おそらく、なにかの痕跡だと思う。
自分という存在は、そういうものの集合ではないか。
であるとすれば、それを引き受けて、やっていく、ということではないか、これから先。
そういうものが、痕跡が、そこここにちらばっている、というのが、豊か、ということではないだろうか。
そういうことであると、なんだか、足もとがうすぼんやり明るいぞ。