大勢でよってたかってとっちめようとするとき必ず「正義」が登場する。
岩波も正義
トランプも正義
クリントンも正義
ノーベル賞一味も、これは権威か。
正義とか「権威」とかが登場する、と改める。
朝日も産経もそれぞれの正義
どうでもいい、以外にスタンスのとりようがないと思うのだが。
おれはおかしいか。誰か教えてくれ。
映画。
◆サムライ
映像美。冴え冴えとした青、あるいは、蒼。
アランドロンの目に感情がない。虚無。
サムライというより、西洋型ニヒリスムの極 北のようだ。
カッコいい。
無駄なカットがひとつもない。
車の改造やのおやじなんかも、しぶい。
◆ユージュアル サスペクツ
ケヴィン スペイシーの回想が中心だから、誰でも、途中から、こいつは信頼できない語り手だ、とわかってしまう。
まじめを演じれば演じるほど怪しさ、うさん臭さがにじみ出てしまう、というこの役者の「素」がもろに出た。どういうキャスティングだ。
ポールニューマンとか、ハリソンフォードとかの、アメリカの良心みたいな奴にやらせたい役だ。
中身だが、字幕だと、その、スペイシーの語りと映像が合わず、自分のなかでつじつまが合わなくなってくる、おれの理解力の問題だとは思うが。
だから、最後も、どんでん、というより、そうだよな、と腑に落ちる感じであった。
ケヴィン スペイシーは大好きな役者だが、ここでは少し悪達者だ。
それと、取り調べの刑事が、ばか。刑事が抜けてないと成立しない映画だからしょうがないが、きのうみたサムライのおフランスのデカは、シャープでカッコよかったぞ。アランドロンと張り合うんだから、それなり、を出さないと釣り合わないのではあるが。
でも、まあ、両方面白かった。