◆華麗なるギャツビー
出演者全員が、なんというか、田舎者、というかんじ。
以上。
途中から音消してyoutubeのシェリルベンティーンかなんか流していました。
で、テレビ版のブライズヘッドを思い出した。両方「エレガント」がテーマだと思うのだが、あっちのほうがまだましだ。あっちをみたときもさんざん悪態をついたが。
そこで、ジェレミーアイアンズにとぶ。
ブライズヘッドの主役、はどっちだ、セバスティアンかライダーか、あるいは、ジュリアか、の一人であることは間違いない、少なくとも狂言回しであることは確か、なジェレミーアイアンズだが、いま思うと、若いのによく引いてやっていた。
で、ジェレミーアイアンズといえば、これもテレビだがルイ○がとった、イギリスの上院議員が息子の女房とやるやつだ。
そこらのねえちゃんをキャメラも女神扱いするから、むしゃぶりつくジェレミーアイアンズがきっちり間抜けにみえる。岸田森状態なので、そういう意味では、面白ともいえるが。
いま見てるギャツビーの娘役、ってんですか、娘役は宝塚か、まあ宝塚の娘役そのものの女主人公もそうだが、なぜ祭り上げるか。
ばか女をなぜ腫れ物扱いするか。
女といういきものをなんだと思っているか。
ハリウッドは、もう映画つくるのやめたらどうか。
という気分だ。
いっとくが女をどうこう言ってるのではない。
現に、その間youtubeはシェリルベンティーンの勇壮な歌声をずっと流して、ディカプリオのアップをながめながら私はそれに聞きほれていたのだから。
素っ頓狂としか言いようがない音の高低差。1024ビートぐらいのリズム感。
空間を自分の声で埋め尽くそうという迫力。
正直、アメリカの強気なおばさん、というキャラは、なんか嫌いではない。動画でライザミネリなんか見ると、そのたくましさでしょぼくれおやじを優しくリードしてくれないものだろうか、と夢想さえする。
ライザミネリをディカプリオの相手役にしてミューズとして腫れ物扱いするんだったら、ちゃんとみるよ。それこそがリアリズムだから。
◆社長ABC
きのうのフジBS。
正続あわせて昼間4時間ぶち抜き、という連休疲れのおやじ慰労企画。
その意気やよし、であるが、中身は、おやじますます疲労困憊でありました。
正、の半ばで断念。
三木のり平がいない。小林桂樹もいない。
いや、小林はいるが、本来小林の役どころを若い関口宏がやっている。
キャスティングでだめなのは明らかだが、もうひとつ、時代、があるな。
1970年に、あのお気楽は無理がある。
あとでwikipediaみたら、これがシリーズ最後だった、と。