啓発舎

マジすか? マジすよ

さすがにちょっと。


ぼーっと見ていると、そのうちどっちかに肩入れしている自分に気づく。

それはこの国でないことも結構ある。

競歩の最後はLIVEで見ていたが、明らかに日本選手の追突だ。
解説が、接触にもめげずに、みたいなことを興奮して口走っていたが、これを、盗人なんとやら、という。
直後、カマ掘られたおフランスの選手の足もとがふらつく。
これを完全におフランス側から見ているおれさまだ。この事故100ゼロだ。徹底抗戦あるのみ。
軽微だからメダル確保はいいが、ほとぼりさめてからでいいから、前方不注意だったごめんな、ぐらいは、やっといたほうがいいぞ。

男のレスリングは準々決勝までみたが、重いほうの奴は、なんか感じわるかった。
同点で終わって相手から物言いがつき審査中に、おれがおれがとリング中走り回って自分でアピールしていた。
あさましい。
ほっときゃお前の勝ちだよ。
次の試合で負けたようだ。勝ち負けは無論どうでもいいが恥の上塗りリスクが解消したのはなによりだ。


そういえば、もう旧聞だが、卓球の爆買い男子は、強さの次元が違うのみならずお品もよかった。
特に馬なんとかなんて仙人みたいだった。
超然としていましたね。こいつつえーやオーラをそこら中に振りまいていた。

こういう奴が一人いると、爆買いのイメージも1ミリ改善する、おいらのものさしが。




4年後までにこの国の善男善女が、だれだけ大人になれるか。
視点を国からずらせるか。


寛容は人間を知ることから。
人間を知るというのは、諦める、ということ。
おおらか、心が広い、春風駘蕩、などの言葉は、したがって、諦める、とほとんど同義である。

というようなことが、ここ数日呆けてテレビをみているだけでしみじみ感得される。


最後に残る望みは、静、ということだけです。
明るい希望だ。