啓発舎

マジすか? マジすよ

憲法記念日だ、というので、今日は改まって硬い話をする。

新日曜美術館黒田清輝をやっていた。裸体画。
芸術性がどうだこうだ、当時の官憲は芸術を理解できず妨害した、絵の下半身に布切れかぶせた表現の自由がどうしたこうした、と女の学芸員がねちねち言ってました。硬い話ですね。


そうですか、と見ていました。

で、その絵がでた。
裸の女が三人直立。

とっさの印象は、エロそのもの、しかも、かなりお下品な。であった。
テレビですよ、実物を見たわけじゃありませんよ、割り引いてくださいね。
だが、どうみても、くそリアリズムの狙ったエロ、というかんじでしたね。
お芸術というより、なんか、みっともない、みもふたもない、かんじ。


エロな絵をエロと認定した明治の文官の鑑識眼を評価したい、むしろ。と思ったさ。

今日は5月3日だし、芦部先生に習ったし、表現の自由は大事にしたい、私も。

ただ、エロは、私は、醜い、というイメージです。
女の造形に、美はないが醜はある。何度も言うが。エロは醜だよ。
醜、あるいは臭をどこまで消すか、が女の腕のみせどころ、というのは女ならみんな知っている。
醜は見ないですませたい。なるべくなら。
醜いものを表現する自由も、そりゃ、あるが、醜いものを見ないですます権利はどうなるか。
見なきゃいいだけですけど。
いやまてよ、万が一時計仕掛けのオレンジの主人公みたいに、機械で無理やりまぶたを開かせてこの絵を二時間見せられたらどうなるか。


黒田なんてどうでもいいが、一般にことさら女を全面にだしてあれこれ言い張るのは、美醜でも甘い辛いでも善悪でもなんでも、もう勘弁してもらいたい。
そっちはそっちでうまくやってくれ。
といういつもの決め台詞でケリにしたい。


表現の自由はやっぱり大切です。
硬い話だ。