N響第1831回 定期公演 Bプログラム
R.シュトラウス/変容
シューマン/ピアノ協奏曲 イ短調 作品54
R.シュトラウス/交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」 作品30
指揮:パーヴォ・ヤルヴィ
ピアノ:カティア・ブニアティシュヴィリ
例によって、ビールビールワインビールだが、今回は今日中に書いておきたい。
なるべく手短に結論から。
今回は、「変容」一曲について。
丸い、暖かい、柔らかい合奏をする資質のない指揮者は、どんなに技術があっても、ダメだ。誰が何と言おうとダメだ。
ヤルヴィについての言及は、今回をもって勘弁してください。
弦楽合奏という形式には、あらゆる弦楽器奏者の思い入れがある。
さあ、やっと、自分が心から楽しめる音楽ができる。
弦楽合奏の、やるほうの醍醐味は、弦のハーモニー、振動の中に自分が溶け込むこと、に尽きる。
二度の、絹の装束が擦りあうような振動。
低めの三度をいれた、完全な調和。
なぜそれをつぶすか。
前半、奏者がすこしずつ音を重ねだすあたりで、ふくよかな、あえかな響きが垣間見られる瞬間はあった。
ところが、音を重ねるにつれ、鋭角的な、くさびのような音の連なりで、溶け合うどころか、ぎすぎすする。
これは作曲者の意図か。
違うだろう。
今回、実は、事前に当方はヤルヴィに歩み寄ることに決めていた。譲歩して臨んだ。いいところがあったら、褒めたい。
そりゃ、金払ってるんだから、愉しみたいですよ。
であるが、時間がたつにつれ、生理的なレベルで、どうしても居心地が悪くなるのです。
体感には、正直でなければいけない。
今回もレコーディングのようだ。数か月後にはCDが出て、レコ芸あたりではまた褒めちぎるのだろう、約束事で。
私の知る限り、今回の就任以後の演奏会は、どのメディアも絶賛だ。悪く言う批評にはお目にかからない。
ところで
アシュケナージは批評家に評判悪い。
指揮は素人、とか、形式感がない、とか、なんとか。
そんなものどうでもいい。
ハートがあるか、どうか。ぬくもりがあるか、どうか。
音楽は、それだけよ。
アシュケナージのシューマンの暖かい豊饒な響きは、忘れられない。
今回のチクルスは、ブロムじいさんのエロイカがあった。マリナー翁のブラ4もあった。ふたつあればまあまあか。
いや、まだまだ、6月のアシュケナージに三つめの救いを求めたい。
<番外>
シューマンのピアノは愉しんだことは、いさぎよく認めよう。
カティアなんとかさんは、初めて見る、じゃないか、聴く姐さんだったが、巧みに、鍵盤と、自分の髪を、操っていた。
のけぞり方に、師匠、だそうだ、のアルゲリッチの薫陶が感じられる。
失礼を承知で言うが、モップかゴルゴンか、という髪の乱舞は見逃せない。いずれテレビでやるだろうけれど、どういう映像に仕上がるか、期待したい。
音楽は、ヴィジュアルに反して意外に端正だ。パワフルでもある。背中の空き具合に惑わされてはいけない。
私はこう言いたいのよ、という表現意思が、伝わった。厳粛に。
決して、投げキッスに動揺したわけではない、はずだ。
これでいいのだ。
つけたし 実は、書いたのはこっちが先だった。
◆サウジ・ロシアなど4カ国、原油増産凍結で合意
識者はこう見る、とロイターが解説している。
これも俺の見立てどおり、とか増長するのもなんだが、これは面白ネタです。
面白キャラとして、当方は以前からイランに注目している。
イラン構わずがんがん増産する→みんな追随→元の木阿弥→サウジ他面目まるつぶれ→こぜりあい
といった展開か。
ここまではとなりのミヨちゃんでも予想する。
問題はそのあとだ。いままではアメリカサウジ連合対その他イスラム含むイランという構図だったが、次回の取り組み表は、予想難しいぞ。
こぜりあい→アメリカ「赤勝て白勝て」と日和見→湾岸きな臭く原油減産→オイルシェールのゾンビ復活、とか、ね。
なんだ、アメリカ漁夫の利でうっしっしか、面白くねえな、この展開は不採用にしよう。
ま、原油は安値継続でせう。
それはともかく、オイルシェールどうなりますかね。他人事だが。
私事じゃが、銀行のオイルシェール投信押し売り攻撃に負けず現在起こりえた当方ぶっ飛び危機を防いだのは、さよう、いまから三年前のことじゃ。当時は、オイルシェールといえば、アメリカ経済の救世主、みたいに言われていたもんじゃ。わしが、モボと言われておったころのことじゃ。
まあ、三年前といえばそこらを三葉虫がはいまわっていましたから、そういう大昔のことをあれこれ言ってもね。