きのうの酒の上でのやりとりは概略以下。
いまや日経を紙で読むのは退職おやじぐらいのものだから、このお得意様に、やたらとちょっかいをだす、あれしろこれするな、と。
カメラだの秘密基地だのサークル活動だの。
極め付きが豪華客船クルーズだ。最近やたらとこれ関連の勧誘がある。
これとプラチナカードとマンションだか会員制なんとかだかが押し売り三馬鹿大将だ。
もちろん余計なお世話であるのだが、「充実したシニアライフ」のために、どういうおせっかい焼きがいるかがよくわかる。ぼったくりの手口が読めるという利点はある。
それはわかった。どうでもいいや。では、どうなのか。おいらとか、は。
老いの繰り言で繰り返し書いているように、波風立たないと、なんだか、いいかんじ。それに尽きる。
いまも、そう。
だから、なにもしない、ということをしていればいい。
なにもしないでぼーっとしているのが祝祭の日々。
毎日お祭りだ。
結論がでた。
でもまあ、たまには、ということで、月に一二回温泉に行き、N回人と会う。
Nには仕事も含まれるので、限定はできない。
肝は、なんとなく、というもやもやが感じられる場には出ないということです。
サークル活動とか、地域なんとかとか、仕事の付き合い、仕事そのものではなくそれに付随する、とかですよ、例えば。
そこで浅い付き合いの不特定多数の人とジャブを打ち合うこと。例えば。
これは、もう、しませんね。
30年これをやり続けて、いま、しなくてよくなって、つくづく、とことんおいらは、普通の人付き合いが嫌いだったのだな、ということが、心底わかる。
だいたい他人は何考えてるかわかりませんよ。ひとの勝手だし。自分がなに考えてるかだって、平素はよくわからないんだから。
それを探り探り折り合いをつけて、なんかいいことありますか。べらぼうな労力かけてると思うよみんな、これに。
これをやらないでいい、とふと気づくだけでほとんど体が宙に浮くよ。
空中浮遊なんて、わけない、余計なしがらみのバラストを捨てればいい。
で、たまに誰それとさんまを食い焼酎を呑む。
100年これを続ける、と。
という日常を自覚しただけで成層圏を突き抜けてしまいそうだ。
以上。