「アップデートする仏教」は、触媒になる。
藤田氏もひっかかっていたが、慈悲の迷走、じゃないか、瞑想のところ。
当方の立場は以下だ。
まず、瞑想と、人と人とのこと、を関連づけない。
「いろんなことがどうでもいい」、のうち、いちばんどうでもいいのが人と人とのこと。
さらに、人と人とのことはおろか、森羅万象と結びつけない。
というより、結びつかなくなる。
なになにしない、という能動ではなく、〜しなくなってしまう、ということ。
そういう意味では、山下氏と藤田氏だったら、藤田氏の立場に近い。
で、今御両所のHPを見てきた。
どうかなあ。
アメリカ西海岸ニューエイジ運動の亡霊、という印象が正直なところ。
ボディーワークだのいろんな作業のともなう瞑想だの。
この道は、いつか来た道。
そういえば、トランスパーソナル心理学って、最近どうなんだ。
ケン ウィルバーさんは。
当方は、引き続き、「どうでもいい」道を歩いていくだけ。