啓発舎

マジすか? マジすよ

日経は、もともとそうだが、とくにこのところ株価の必死の維持工作とか、兜町広報部、業界紙、に堕しいて、なんで4000円払うのか、そろそろやめようか、と思っていたところだが、当方のうさを吹き飛ばすような秀逸な記事をみつけたので紹介する。

マンション広告に躍る「ポエム」 建築を包む物語
2014/3/12 7:00
 「この聖域は、総てのDESIREを満たす。」(ランドステージ代々木の杜)、「扉の向こうに、完全なる小宇宙が広がっている。」(南青山テラス常盤松フォレスト)――。週末の折り込みチラシや電車の中づり広告には、都心の新築高級マンションを形容する華やかなキャッチコピーが躍る。いささか過剰とも思えるほどに情緒あふれたその文体は「マンションポエム」とも呼ばれ、建設ラッシュに合わせて新たな作品を次々と生み出している。売り手と買い手の思惑が絡み合って生まれた“芸術”、マンションポエムの世界をのぞいてみた。
 マンション広告のキャッチコピーはほとんどの場合、不動産会社が考えているわけではない。広告代理店にイメージを伝えて複数の案を出してもらい、その中から選ぶ。その工程はマニュアル化されたものではなく、伝えるイメージの具体性や最終的にどの案を選ぶかは「担当者次第で大きく変わる」(不動産大手)。
■都心ほど高まる「ポエム度」
 確かにコピーの作風は物件によりさまざまだが、全体的に都心の高級マンションほど「ポエム度」が高い。郊外のファミリー向けの物件が、立地の利便性など実利面を強調する傾向にあるのと対照的だ。そこには、都心ならではの事情があった。
 都市の建築物を被写体にしてきた写真家の大山顕氏は、マンションポエムを「建築を隠す言葉」と表現する。「マンションは規格化が進み、もはや『法律と経済でできている』といっても過言ではない。都心の2億円の物件も郊外の2000万円台の物件も、建物自体にそれほどの差はない」。実際のところ、価格差のかなりの部分を占めるのは土地代だ。マンションポエムは、「家」を「邸宅」に、「森」を「杜」に、「住む」を「住まう」にドレスアップする。高級感で建築を包み込むことで「値段が高いのは土地が高いから」という身も蓋もない理由を曖昧にし、「そこに住めばハイグレードな生活が待っている」という夢を買い手に抱かせる作用を持っている。
 建築がコピーの主役になりにくい理由はもう一つある。マンション広告の表現を規制する、業界の自主ルールの存在だ。景品表示法に基づき、公正取引委員会の認定を受けて定められたもので、広告を出せる時期や表示しなければならない事項を指定する。消費者保護の観点から、実際より優良であると誤認させるおそれのある表示を禁じており、特に「完全」「日本初」「超」「最高級」といった表現は、合理的な根拠がなければ使えない。ある不動産大手は「質の違いを訴えるイメージ戦略のため、どうしても情緒的、抽象的な表現が多くなる」と明かす。
■土地のイメージを増幅
 結果的に、物件そのものはあまり触れられず、土地の持つイメージが前面に出てくる。下町なら「モダニズムと風雅。大江戸の美意識がいま、甦る。」(クリオ浅草橋)、東京大学の近隣なら「その都心の『丘』は、美しい人生の叡智に充ちている。」(ブリリア東大前)という具合だ。
 その土地にもともとブランド価値や伝統があればそれをふくらませていけばよいが、歴史の浅い埋め立て地の場合、新たなイメージをひねり出す必要がある。たとえば湾岸部では、それを逆手に取ってか「『無色の東京』が東京の中にあります。それはフロンティアの場所。」(ドゥ・トゥール)、「まるでフィクションのようなこの地を、私たちは『プラネット』と呼ぶことにした。」(ザ・タワーズ台場)といったどこかSFめいた世界観が広がる。2020年の東京五輪へ向け開発が進む地域でもあり、今後は五輪に絡めたフレーズが増えていくだろう。
 マンションポエムは売り手のためだけにあるわけではない。マイホームは人生で一番高い買い物といわれる。「ポエムに万歳!」の著書があるコラムニストの小田嶋隆氏は「広告は夢を売る仕事。買う方も、物語を含めて買いたいと考えている」と分析する。
■買い手も「よく言われたい」
 大山氏は「今や、どの街に住むかは、価値観や収入階層だけでなく、自分がどんな人間かを表している」と語る。まさしく「東京都心に住む。それは選ぶ地に自身の姿が投影されるということ。」(ブリリア外苑出羽坂)だ。「ぼくたちの明るい未来を照らす小さな幸せは、この道の向こうにあった。」(エクセレントスクエア西船橋)、「悠久の高台邸宅街で、人生はいま、高みを目指す。」(ディアクオーレ文京目白台)――自分が暮らすと決めた場所に、将来へ続く前向きなストーリー、つまり「どこよりも、美しい夢を見る。」(ナビューレ横浜タワーレジデンス)ことを買い手は求め、売り手はそれに応えているのだ。
 小田嶋氏は「ポエムは情報ではなく感情を運ぶ言葉」だと話す。「住民感情に配慮する」を「人々の心に寄り添う」と言い換えるような、政治や行政の言葉のポエム化には、対象をぼかし責任を希薄化する危うさがあると指摘する。一方で、マンションポエムは「売り手と買い手との一種の共犯関係で成り立っている。誰かが損をするわけではない」ともいう。
■親切すぎる注釈
 そこに買い手をだまそうとする悪意はない。それを端的に示すのが、ポエムにまでつけられた注釈だ。たとえば「東京を頂く。」(キャピタルゲートプレイス)という大きな文字の隅に「※1」とある広告。下の方には「※1 『東京を頂く』とは、都心立地・駅直結により数々の東京の魅力を手に入れる生活や、53階建ての本物件より東京を見晴らす生活を追求し、表現したものです。」と、行間を語り尽くす丁寧な説明が入っている。たとえ広告の見栄えが悪くなっても「買った人に、実際は違うじゃないかと言われないようにしないといけない」(不動産大手)のだ。表現に関して、業界の自主ルールよりも厳しい基準を設けている企業もある。
 とはいえ、そこまでするまでもなく、買い手はコピーの一言一句を本気で信じているわけではない。「都心を掌握する」(ブリリア大山町)というコピーに「住んだのに都心が思いのままにならない」という苦情は出ない。そもそも、マンションは「ジャケ買い」するようなたぐいの商品ではない。購入までには資料請求やモデルルームの見学、担当者との交渉、住宅ローンの借り入れといった長いプロセスがある。実際、自分が住んでいるマンションのコピーを覚えている人は少ないだろう。突き詰めてしまえば、肝心なのはポエムがささやく形のない夢の中身ではなく「大手が力を入れて宣伝しているという事実」(大山氏)ともいえる。
 国土交通省によると、分譲マンションの着工戸数は13年まで4年連続で増加している。景気回復に加え、住宅ローン金利や販売価格の先高観が追い風になっている。販売競争が激しくなるなか、差別化のためにマンションポエムは芸術性にいっそう磨きをかける。
 「ときめくために生まれた。」(ブリリア有明スカイタワー)ポエムたちは「解けない魔法を、この地にかける。」(プレミスト北浦和)かたわら「そこは、成城でもなく、仙川でもない。そして、成城でもあり、仙川でもある。」(セイガステージ仙川)と禅問答まで織り交ぜ、最後には買い手に「豊かな心で生きようと思う。」(クリオ新小岩エストテラス)と決意させる。近年のトレンドは「カタカナ言葉より大和言葉や小難しい熟語」(大山氏)だという。これからは、どんなポエムに出合えるだろうか。
(電子報道部 森下寛繁)

この記事は、諧謔味、抑制、ともに申し分ない。
とくに、筆をおさえて、あえて、ここおもしろいでしょう、笑えるでしょう、の主観を必要以上に挟まないセンスに好感がもてる。
まあ、日経といえば幇間だから、表向き、旦那であるデベのご機嫌をそこねることは言いにくいのかもしれないが、行間には、きちんとたいこもちの冷笑が光っている。
周到。記者氏の力量に感心。次回作に期待したい。


というわけで、いまさらおいらの出る幕ではないのだが、以下、個別のポエム(太字)とそれについてのコメントのみを抜粋して記事を編集し、おいらもポエムを鑑賞してみることとした。

◆「この聖域は、総てのDESIREを満たす。」(ランドステージ代々木の杜)、「扉の向こうに、完全なる小宇宙が広がっている。」(南青山テラス常盤松フォレスト)
◆物件そのものはあまり触れられず、土地の持つイメージが前面に出てくる。下町なら「モダニズムと風雅。大江戸の美意識がいま、甦る。」(クリオ浅草橋)、東京大学の近隣なら「その都心の『丘』は、美しい人生の叡智に充ちている。」(ブリリア東大前)という具合だ。
◆その土地にもともとブランド価値や伝統があればそれをふくらませていけばよいが、歴史の浅い埋め立て地の場合、新たなイメージをひねり出す必要がある。たとえば湾岸部では、それを逆手に取ってか「『無色の東京』が東京の中にあります。それはフロンティアの場所。」(ドゥ・トゥール)、「まるでフィクションのようなこの地を、私たちは『プラネット』と呼ぶことにした。」(ザ・タワーズ台場)といったどこかSFめいた世界観が広がる。
◆「今や、どの街に住むかは、価値観や収入階層だけでなく、自分がどんな人間かを表している」と語る。まさしく「東京都心に住む。それは選ぶ地に自身の姿が投影されるということ。」(ブリリア外苑出羽坂)だ。「ぼくたちの明るい未来を照らす小さな幸せは、この道の向こうにあった。」(エクセレントスクエア西船橋)、「悠久の高台邸宅街で、人生はいま、高みを目指す。」(ディアクオーレ文京目白台)――自分が暮らすと決めた場所に、将来へ続く前向きなストーリー、つまり「どこよりも、美しい夢を見る。」(ナビューレ横浜タワーレジデンス)ことを買い手は求め、売り手はそれに応えているのだ。
◆親切すぎる注釈
 そこに買い手をだまそうとする悪意はない。それを端的に示すのが、ポエムにまでつけられた注釈だ。たとえば「東京を頂く。」(キャピタルゲートプレイス)という大きな文字の隅に「※1」とある広告。下の方には「※1 『東京を頂く』とは、都心立地・駅直結により数々の東京の魅力を手に入れる生活や、53階建ての本物件より東京を見晴らす生活を追求し、表現したものです。」と、行間を語り尽くす丁寧な説明が入っている。たとえ広告の見栄えが悪くなっても「買った人に、実際は違うじゃないかと言われないようにしないといけない」(不動産大手)のだ。表現に関して、業界の自主ルールよりも厳しい基準を設けている企業もある。
◆販売競争が激しくなるなか、差別化のためにマンションポエムは芸術性にいっそう磨きをかける。
 「ときめくために生まれた。」(ブリリア有明スカイタワー)ポエムたちは「解けない魔法を、この地にかける。」(プレミスト北浦和)かたわら「そこは、成城でもなく、仙川でもない。そして、成城でもあり、仙川でもある。」(セイガステージ仙川)と禅問答まで織り交ぜ、最後には買い手に「豊かな心で生きようと思う。」(クリオ新小岩エストテラス)と決意させる。近年のトレンドは「カタカナ言葉より大和言葉や小難しい熟語」(大山氏)だという。これからは、どんなポエムに出合えるだろうか。


おいらが選ぶベスト1は、なんといってもこれだ。

東京を頂く
都心を掌握する、も類似例だが、「東京を頂く」のインパクトには及ばない。
脚注つき、も笑える要素だ。
「東京を頂ける」と言われてこのマンションを買ったが、ぜんぜんおれのものにならない、おれにご馳走様と言わせろ、とかクレームをいう奴を想定しているのかね。

次。
そこは、成城でもなく、仙川でもない。そして、成城でもあり、仙川でもある
 記事の筆者は禅問答と例えていて、それも卓抜ではあるが、当方は、龍樹かな、と思った。
 あるいはインド哲学のネーティーネーティー、ネチネチ、というやつ。
 マンションポエムのフロンティアは、こうしてインド六派哲学の深みにも分け入っていくのであった。

まるでフィクションのようなこの地を、私たちは『プラネット』と呼ぶことにした
 これ、読みようでは、ひいきの引き倒しだぞ。
 フィクション→非現実→にせもの、まがいもの、はりぼて、書き割り
 と読むと、あら不思議、お台場を見事に言い当てている、ともいえなくもないか。
 最近全然行ってないが、次回お台場を訪れるときは、このことば「フィクションのような地」を噛みしめることにしよう。

☆ときめくために生まれた
☆解けない魔法をこの地にかける
に至っては、もうなんだか分からないですね。





それにしても、寡聞にして現代詩に「マンションポエム」という分野があることを今日まで知らなかった。
啓発されました。
啓発舎主宰もまっつぁおだ。
偽造フェチとか言ってる場合ではない。
こんなおいしい世界があったとは。
今日からおいらもマンションポエムワールドの住人だ。