啓発舎

マジすか? マジすよ

吉本さん江藤さん

で、吉本江藤の対談集を読み終わったところ。
おもしれえ。

特に最後の対談。

吉本さんから「昭和の文人」をネタとして放り投げる、それを江藤が受ける、あたり。

「昭和の文人」は、おいらも面白かった。たしか、このブログにも書いたな、と思って検索したら、2006年のファイルにあった。三月書房でどうしたこうした、というくだり。
三月書房。京都寺町。いかん脱線しそうだ。

江藤の「怒り」の芸風をただ愉しめばいいのかもしれないが、なんで、堀辰雄ごとき、という言い方も不遜かもしれないが、にそんなに拘泥し、目の敵にするのか、よくわからないところがあったのだが、この対談で、なんだかわかったような気がした。

少し抜粋。

「いま、軽井沢なんていうところに行ってみますと、いたるところで堀さんが文学の世界でやったようなことを商業的に拡大したことをやっていますね。”メルヘンチックなペンションだとか”<中略>堀さんの影響はかなり深いんじゃないかと思うんです。」
「私は二十代のころから留学する機会があって<略>人種のるつぼの中で各人種がどんな目にあっているかということはいやというほど知っています。<略>そう思ってみますと、中野さんはこの厳しさを一歩も日本を出ずに深く認識した人じゃないか。ところが堀辰雄さんは一歩も日本を出ないままに、日本はフランス人になれると思った人じゃないか。しかもそれを自分の文学の中に表現しようとしたのではないか。」

そういうことか。


この対談は1988年に行われた。
軽井沢は学生のころ、夏合宿で毎年行っていたが、この対談の前の年1987年にも、会社の行事で何日か泊まっていた。軽井沢プリンスだった。
行くたびに醜悪になるとは感じていたが、これを堀辰雄に帰すのは、いやもちろんすべてをという趣旨ではないと思うが、一部にせよ軽井沢の醜さの一端を堀辰雄のせいにするのは、いくらなんでもどうか、と思う。

当時、バブル初期で日本全体が浮かれていましたね。
こことか清里とかのグロテスクさは、「日本人もフランス(或いはヨーロッパの任意の国)人になりたい」願望というよりも、単純な、女子高校生的「かわいい」無国籍的悪趣味シンドロームにすぎないような気が、当時もしていたもんだがね。

おととしの夏行った時は、万平ホテルのあたりも、すっかり不景気風だったな、そういえば。
熊谷守一リトグラフ」とかいって5000円ぐらいで売っていた、万平ホテルが。

および、人種のみぞを飛び越えて「フランス(或いはヨーロッパの任意の国)人になる」願望についても、少なくとも、おいらの世代以降には、別にねえよな、この国でいいじゃん、という人々がほとんどじゃないか、と思うが、別にアンケートとったわけでもないが。
白金のサイゼリアは外人占有率常に3割はあったが、プアだしマナーも悪く、この国の客の太宗を占めるおばさん軍団こども連れ、に普通に溶け込んでいた。


江藤さん、独り相撲のところないか。
或いは、世代による認識の差か。