啓発舎

マジすか? マジすよ

◆地獄の季節がはじまった。
ユング自伝。下巻の最後の方。
 この人と、あと井筒俊彦さんの晩年はスリリングだ。
キリスト教と終生格闘したのだね。
・「無意識」という概念が、「マナ、デーモン、神」と等値であると。
 そのぐらい、無意識は、この人にとって大きいのだね。
・無意識、夢。
 経験則でしか言えないが、無意識、夢の領域って、そんなに深いか。
 むしろ表層に近くないか。
 P107から引用
 インド人の目標は道徳的完成ではなく、「相対性を離れた」状態である。インド人は自然からの解脱を求め、したがって黙想のうちにイメージの消去した状態、空の状態に達しようとする。私は、これと反対に、自然の、そして心的イメージの生き生きとした観照のうちにいつもありたいと望んでいる。

 さすがユングさん、上の記述は、それぞれの立場を簡明に表してあますところない。
 当方は、もちろんインド人に与する。
 「心的イメージ」って、およそ東洋で行われる数多の行にあって「雑念」として真っ先に退けられる類のものではないか。
 脳みそは、理性の統制がゆるむと、遊び始めるんですよ。
 夢なんかその、最たるものだと思う。
 表層の自我(という言葉は、あまり好きではないが、寸借する)の支配下にあるか、ないかだけのことではないか。
 その先、その先から、すべてが始まるのではないか、ユングさん。

 実際にブラフマンアートマンが融合するか、個の構成原理と森羅万象の法則が一致するのかはしらないが、単に脳の機能が停止、あるいは著しく弱まった生理的な状態が認識する、−というのはおかしいか認識する機能、意識といっていいか、がない、あるいは微弱であるのだから−世界ということだけなのかもしれないが、そのあたりから、もろもろが始まるのではないでせうか。

というように、ユングさんは触発してくれるから大事。
 

 
◆さん喬師匠の幾代餅。