啓発舎

マジすか? マジすよ

チョン・ミュンフンのN響

N響
サントリーホール

モーツァルト/ピアノ協奏曲 第21番 ハ長調 K.467
マーラー交響曲 第5番 嬰ハ短調
指揮:チョン・ミョンフン
ピアノ:チョ・ソンジン

というプログラムだ。
期待するなというほうが無理だ。

モーツアルトを聞けば一流がわかる。
ピアノはまだぼくちゃんだが、端正で品のあるモーツアルトだった。終楽章のギャラントに走り抜けるかんじなんか、胸のすく気持ちよさあり。おじさんは堪能しました。
で、まあ、二楽章です。
純粋な音楽が流れることによって現出する空間。
無限に続くかと思う三蓮符。
ドー、シラ、ソファ、ミレ、なんて、ただ下降する音階だ。
それがどうしてこうなるか。
15番の四重奏の一楽章なんか、もっとすごいぞ、単なるオクターヴだぞ。
それで、どうしてあんなしめやかな時間が流れるのか。

チョン・ミョンフンをきいた、というより、モーツアルトに遇ったというかんじ。
自然ということだ。
前半だけでも着た甲斐があった。

後半は、うってかわって、マーラーに遇った、というより、チョンさんの元気をもらった。

正直、50をこえると、マーラーは、ちょっと、というところがある。正直。
長いよ。
あと、昔復活をやったとき思ったけど、割合構成がワンパターンというか、エキセントリックに吠えるかと思えば、木管あたりが、例のユダヤっぽい旋律を、背中に哀愁だぜ、ってかんじでホロホロやり、また金管が、かと思うと、チェロあたりがはだかでもそもそ。
行進曲か、葬礼か、練兵場のラッパか、レントラーみたいな舞曲か。

この繰り返し。

この曲、三楽章までと、四五楽章で二つに切れないか。
五楽章は、四楽章の余韻を引きずり、例の嫋々とした旋律をひっぱると思えば、いつものお祭り騒ぎ。
三楽章までは、割合、マッチョな音楽。

そのマッチョ感が、チョンさんの持ち味でもあるんで、今夜はお祭りだ、というかんじで楽しめた。

マーラーは、こういうんでいいのではないか。
もうここまでじゃないか。

日付けこえたが、いま頭の中で鳴っているのは、モーツアルトの2楽章です。



くどいようだが、褒めている、二曲とも。

堪能。