お祭りだのなんだのでいろいろあった。
明日から平常ダイヤ。
今回のお祭りは、しみじみ感じ入ることが結構あった。
年なのでそうそう神輿は担げない。若い衆にまじって棒にしがみついても、せいぜいもって5分ぐらいか。
永代橋とか、仲町の交差点とか、見せ場では必ず棒にさわっていることにしていたのだが、今年は仲町の交差点はパス。
揉んだり差したり、要は神輿を、こう、派手に上下させたり揺らしたりしてパフォーマンスをするのだが、それをする担ぎ手であるには、少し年をとりすぎたようだ。
というわけで、今年は、ついて歩く、ということを主にしていた。それで、まわりをきょろきょろすることができた。
昼は茅場町から日本橋にかけての道路沿いで休憩。
今年は、やんごとない方面がお越しになった関係で、昼休み、というかほとんど足止めに近い感覚だったが、が、2時間半もあった。
12時に神輿をおろし、まかないのお弁当を手にする、やれやれ。普通小一時間後に出発なのだが、今回2時半だよ。出発が。
二時間半待ち。炎天下。
弁当なんか10分もあれば食っちまうから、あとは、延々そこらのビルの陰で、みんなてんでに、所在無げに、時間をつぶす。
これが、なんとも、なんとも、いいかんじだったわけです。
おいらも寝っ転がって時間をつぶしたが、視界は、両側高いビル、はるか上の方に、長方形に切り取られた空、雲。
明日になれば、やたらに早歩きする女、男が、あわただしく行き交うところですよ、おいらもその人種といってもいいかもしれないが。
今日は、その純粋オフィス街に、そろいの半纏、だぼシャツ或いはさらし、半だこ、たび、はちまき、を身にまとった、老若男女が、地べたに座り、或いは寝そべって雑談したりぼーっとしたり、という非日常、シュールな景色。
町会毎に半纏は違うから、藍、これはおいらの町会、とか、茶とか緑とかグレーとか、カラフルな色のかたまりが、そこここに点在する。
で、ビルが両側そびえたっているから、人の話声が反響して、目をつぶると、ぞわーっと、不思議な、心地よい音楽。
お祭りのスタイルは、誰にも似合う。みんなかっこいい。男も女も。老いも若いも。
日ごろは、いろんな職業でいろいろやってる人々が、そういう背負ってるものをいちど脇において、集まっている。
そうすると、どうしても、どしても、なんだかみんな一緒、感が勝手にじわじわしてくるのですね。
この国の人々の、なんだろう原型、というか、そういうものが、ここに、眼前にある、というかんじ。
太古から連なるこの国の人々の原風景、のような。
なんだかしらないが、この国は凄い国だと思う。
民族とか、そういうちょっとあぶない言葉は遣いたくないのだが、こう、底流するもの。
それが、極く自然に、何気なく、みんな暑くてぼーっとしているだけなのだが、勝手につながってしまっている、という。
おいらが感じただけのことかもしれないが。
旗の下に団結する、とかそういう汗臭いことではなくて。
たとえば、桜が散るあのくらくらするかんじ。
雲間から月がみえるあの妖しいかんじ。
たとえばそういう共通感覚。
伝統とか文化とか書くと、その瞬間に大事なものが指の間から洩れてしまうのであるが。
ユングは最近ではオカルト扱いだが、原型無意識のようなものは、この国には、確実にある。
そろいの半纏を着せて、炎天下、意味なく二時間半ぼーっとさせると、その辺の消息が明らかになる。
この場合、肝は、意味なく、、ぼーっとする、ということ。
平らな、なつかしい、そして紛れもなく、美しいということに対するセンス、のようなもの。たおやかな気。