実は、全然期待していなかったのだが、素晴らしい演奏だった。
自発性、の一語に尽きる。
アシュケナージがなにもしなかったわけではなくて、ここまでの団員の主体性をひきだした功績は大きい。
シューマンが不思議、というかわざとやってるんだろうけど、あの、弦も管、とくに木管も、トゥッティ tutti っぽいあ響き、あの、べたっとした響きたのイメージが、文法むちゃくちゃですいません、これほど芳醇に聞こえたのは生まれて初めてだ。
これは、その場にいないとわからない。
その場にいないとわからないのは、ブロムシュテットさんなんかもそうですね。
響き。
4番の交響曲で、堀氏が、例によって、すいません言葉悪くて、シャビーなソロをひとくさり、それに呼応する弦全奏の豊かな響き、再度堀氏がひょろひょろ、芳醇な弦が応える、というやりとりであるとか。
オーボエ対オーケストラ全奏という箇所もあるのだが、これはオーボエの青山さんのあたたかい音色で、素晴らしい応答であったよ。
そういうところ、そういうシューマンの響きが、生まれて初めてわかった。
あと、弱音から、ふわっと盛り上がる、弦の弾きはじめのクレッシェンド。
N響恐るべし。
今回のシーズンはこれでおわりだが、ブロムシュテットさんのブルックナーときのうのシューマンだけでも、通ったかいがあった。
こういう驚きを、不意打ちをくらうと、生きていくのもまんざらではないな、としみじみ思う。