啓発舎

マジすか? マジすよ

◆今日コンビニで習慣文春と収監新潮を立ち読みして、記事の内容もネタ元もここまで一緒か、と、うんざり。二誌あわせて2分半ほど。
ここまでつまらない編集を続けるならもう立ち読みしてやらないからそう思え、と、このブログで啖呵をきったのは、あれは3年前・・・ぐらいであったが、新たに感想をいうのもめんどくさいし自分でもちょっとそのフレーズが気に入っていることもあり、今回それを使い回ししておく。
おれに立ち読みをつづけさせたかったら、すこしは気合をいれて編集しろよ。
取材力の貧困とか、政治、皇室、芸能の使い回しでマンネリとか、そもそも金がないのだろうとかいまさら言う気も起きないが、今日ふと思ったこと。
なんだか、世の中全般、みんなが、他人の不幸が蜜の味ではなくなってきているのではないか、と。大衆レベルで。
それどころではない、わが身も先行きどうなるかわからないのに、という。他人を嗤うゆとりもない、という空気。
その仮説が正しいとすると、雑誌にますます未来は、ないな。
斎藤十三の「人間万事色と欲」というセオリーは死滅か。
◆毎週通う巣鴨の街の客引きも元気なく、黒服どおしで至極まじめな世間話をしている。
◆出版物の売れ行きが相変わらず前年割れで雑誌は特にひどい、ようだが、景気だの他の媒体にやられてだのも確かにあるんだろうけれど、これもふと思ったことだが、人を集めていないのではないか、出版業界は。
井筒俊彦氏の著作を読むと、何冊か、あとがきで岩波の、名前忘れたが、特定の編集者に、あんたにすすめられて書いたんだ、と謝辞を捧げていて、かっこいいとずっと思っていた。
◆あと、海の編集長だったなんとかさんも筒井氏激賞。これは井筒氏ではなくて。康隆さんのほうです。
◆ここまで書いてふと思ったことだが、話はかわるが、筒井康隆井筒俊彦を二人同時に表記すると、筒井筒、ということになるか。誓って言うが、たったいま思いついたが。
ともあれ黒子が結構文化をひっぱっていたという状況はあったのだと思う。
いま、どうだ。
背表紙よめば内容がわかるような新書の類を量産して、売れない売れないとかいっててもだめでしょうね。
伊丹十三の「小説より奇なり」って週刊誌に連載したものを単行本にまとめたもののようだけど、こんなのが毎週連載されてたら、ちゃんと金払って読むよ。

なんだか収拾がつかなくなってきた。